もし、本当にすべての物事に終わりがあるのなら・・・そう考えたとき、何となくこんなことを考えました。昨日書いたこととちょっと関連しているのですが、もしかしたら人が"死んでいる"という状態にも、いずれ終わりが訪れるんじゃないでしょうか。もし、"死"に終わりがあるとしたら、それは一体どういうことを意味するのでしょうか。 輪廻転生という概念も、もしかしたらそういう"何事にもいつか終わりが来る"という所から来ているのかもしれません。もしそれが本当にこの世界の理で、そしてさらにデカルトの言うように肉体は滅んでも魂は死ぬことはないのなら、昨日僕が書いたような何千年も昔から続く想いなんてのもあり得るわけで、もっと言えば今ある自分という魂も、もしかしたら遙か昔からそれぞれの肉体に受け継がれてきたものなのかもしれません。 世の中のすべては円になっている、そういう考え方があります。終わるものは始まりに回帰する、というもので、僕の分野である音楽なんかで言うと曲の終わりが実は同じ曲の始まりへと繋がっている状態です。別れがあって出会いがあるのも、同じことなんじゃないかと僕は思います。遙か昔一度は結ばれたけれども死によって別れ、再び同じ時代に生まれて出会ったときに自然に結ばれる、という関係も、あながちあり得ないわけではないと僕は思うのです。 人の持つエーテル、理性ではない感性、説明のつかない現象や、抗うことの出来ない物事の流れ、そういうものを色々考えてみても、死に終わりがある、という考え方は決しておかしいものではないと思います。ただ、死と生の循環において、時を超えて続くものがあるとしたら、それはきっと今の社会で考えられている"価値あること"ではないのと僕は思います。科学や哲学では価値基準を作ることの出来ないレベルの物事だけが、きっと時を超え、輪廻を超えて受け継がれるんじゃないでしょうか。人の想い、というものも、その一つなのではないかと、僕はそう思うのです。
by Alfred_61
| 2008-11-17 23:39
| 日記
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