先日、天満橋のマンションを紹介して貰った仲介業者さんの頼みで、僕の曲をいくつか集めたCDを作り、その人の勤務先へと郵送しました。ついでというかチェックというか後学のためというか、そのCDをmp3プレーヤーに入れて最近出勤も帰りも聴いているのです。一曲を除いてはすべてアメリカで録音されたものばかりで、お金を出してプロのエンジニアを雇って録音しました。それでも個人的に気に入らないところはさらに僕が手を加えて音を直してあります。このヴァージョンの音源はこのCDでしか聞けず、一応は非売品として作ったのです。 今の仕事先なんかではあんまり僕の音楽に興味を持ってくれる方はいなくて、みんなやはり僕の状況判断能力や仕事をこなす処理能力など社会的なアビリティーを重視しているので本当の僕を見てはくれないんですね。一枚だけそのCDを持ち歩いているんですけど、よっぽど欲しいという人がいない限りは渡すつもりはありません。 それはさておき、自分の音楽をしっかり聴く機会はあんまりなくて、それもちゃんと市販のCDレベルのサウンドクオリティーですから、他のmp3データと同列で聴けるんですね。こういうことをすると、色んなことを考えます。例えば、それぞれの曲を作った頃のこと、演奏してくれた人々のこと、曲を書いてから録音ができあがるまでの長い時間のこと、僕が何を表現したかったのか、本当に色んなことが録音から僕へと伝わってくるのです。 特に"Organ Suite"(オルガン組曲)は、もう卒業も近くなっていたあの頃、もしかしたら未来に出会うかも知れない人と過ごす時間のことを思い描いて書いた曲なのです。第一楽章のContrailは日本語では"飛行機雲"。果ての見えないほど広がる草原に二人で大の字に寝ころんで手を繋ぎ、雲一つない真っ青な空にゆっくりと伸びていく飛行機雲を見上げている時間を表現した曲です。第二楽章のObservatoryは日本語では"観測所"。夜になって二人で捨てられた観測所から降り注ぐ流星群を見る曲です。第三楽章は星を見ていたら空に現れた不思議な白銀の魚の曲、Flying Silver Fish、"空を飛ぶ銀の魚"です。第四楽章はその夜空を宇宙を自由に泳ぎ回る魚への"憧れ"、Yearningです。そして最後の第五楽章、Youは、一日という時間を一緒に過ごした彼女への僕の感謝の気持ちです。 この曲はアメリカではとにかく不評で、なぜならばオルガンという宗教楽器を本来そうあるべき使い方をしなかったからです。オルガンを聞きに来る人は基本的にすべてキリスト教徒です。それなのに、僕はこの曲で全く神様のことを表現しなかったのです。まるでピアノの曲を書くように、僕はオルガンの曲を書いたのです。恐らく、この曲はもう二度と人前で演奏されることはないでしょう。そして、録音も僕が持っているもの意外に作られることはないでしょう。 この曲がとても今の僕の心に響くのです。何故かは分かりません。僕には今彼女はいないし、きっとこれからしばらく出来ることもないでしょう。それなのに、この曲がとても心にしみるのです。本当に辛いことや、悲しいこと、嬉しいことを超えて、たどり着いた幸せと呼べる時間を、僕はこの曲で表現しました。表現しておきながら、自分はその時間も境地も経験したことはもちろん、これからも体験することもないでしょう。いつかそんな日が来ればいいなと、純粋にそう願ったこの曲を書いた頃の自分を思い返して、それで胸が詰まる感じがするのかもしれません。今も、きっとこれから先の未来にいつかオルガン組曲のような奇跡のような幸せが僕の元に訪れることを、ささやかながら願います。
by Alfred_61
| 2009-02-03 23:53
| 日記
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