どんなに正しいことをしても、社会でそれがちゃんと認められるかというとそうではありません。誰も恐れて実行しない正しいことをやってしまうと、逆に社会からはとんでもない弾圧中傷誹謗にあって、事実上社会という構造からその人の存在が抹殺されることもあります。そんな社会だから、正しいことは例え自分が認識していてもそれは実行してはいけないのです。黙って、見て見ぬふりをするのが一番なのです。 というのもそりゃあ一つの意見であり哲学であり道理です。社会に認められるために自分は生きているのに、他人に賞賛して欲しいから自分は生きているのに、それなのに社会から非難されるようなことをなぜしなければいけないんだ、それならいくらそれが正しいことだとしてもそれを実行するのはバカだ、と言うのは別に個人の自由です。はっきり言って、そういう風に行きたいなら勝手にそうすればいいのです。ただ、それを人に強制する権利はどこの誰にもありません。 僕は、確かに結構見て見ぬふりをします。自分のタスクじゃないなら、正しいことを他人のためにしてあげる義理も責任も僕にはないのですから、そんなものは無視します。でも、僕は本当に気に入ったことに対しては絶対に正しいことを、誰がなんと言おうが実行します。例えば音楽。音楽の世界で、僕は正しいと信じていることをずっと続けています。それに対して社会がなんと言おうがなんと思おうが、僕の知ったことではありません。 他人の評価なんてハナクソ程度の価値しかありません。そんなことよりも、僕が正しいことを実行した、という事実が一番大事なのであって、それが歴史に残るかとか評価されるかなんて完全にポイントからずれたどうでも良いことです。やってしまえば誰もその事実を変えることは出来ないし、過去はもう歴史ですから。というか、社会を変えてしまうほどの正義なら、どんな犠牲やデメリットがあっても実行すること自体が一番大事なのであって、その後どうなるかなんてどうでも良いのではないでしょうか。 社会において、正義なんてものはありません。正義とは、個人の心の中にだけ存在するものです。自分が正しいと信じたことを実行する、それだけなのです。他人に認められないとそれは正義じゃない、とか他人の顔色をうかがってそれが正義であるかを確認しなければいけない、というのはどうもどこかおかしいですよね。
by Alfred_61
| 2009-03-07 23:55
| 日記
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