風と木の詩を再び通して全巻読みました。不覚にも、また泣いてしまいました。なんて凄い作品でしょう。本当に良い芸術作品に出会ったとき、そこには嫉妬や羨望が生まれる余地はなく、すべての人は裸でその作品と対峙する、僕の芸術に対する哲学の一つです。この作品は間違いなく人を裸にする類の"Dangerous"(僕の師匠がこんな表現をしていた)な作品です。 セルジュ・バトゥールという主人公の一人がいますが、どうしても僕は彼の生き方に涙せずにはいられません。あまりにそこには僕にとって個人的に共感できるものが多く、彼の不器用さも、彼を取り巻く社会の冷たさも、そのすべてがまるで自分の人生のように思えてどうしてもたまらなくなるのです。 ピアノを弾くことが好きで、社会からそれと恋を天秤にかけられたりするけれども残酷な現実はまるでそうなるようにプログラムされていたかのように彼を一つの方向へと導いていきます。彼自身が望んでいようがそうでなかろうが、彼の人生はまるで引き寄せられるように前へと進んでいくのです。ジルベールと駆け落ちして、子爵である自分の立場も友人も先生もお金もプライドも何もかも捨てて大都会パリの下町で最も地べたの仕事をしながら必死に生きる彼の姿は、まるで今の僕自身を見ているようで胸が痛くなります。 ピアニストである自分より、貴族である自分より、秀才である自分より、それよりも自分が自分らしくあることにすべてを賭して生きる彼の姿は、僕自身が歩いてきた道そのものなのです。そんな中で彼なりにジルベールとの幸せを望み、それを手に入れようと血のにじむような努力をし、けれども物語の最後で、その願いは報われることはなくなってしまうのです。それがあまりにもドラマで、あまりにも切なくて、どうしてもあそこを読むと涙を堪えられなくなってしまいます。 彼ほど誠実な人はいないでしょう。彼ほど信心深く、真っ直ぐな人はいないでしょう。彼ほど罪を犯すことをせずに他人の罪を赦す人はいないでしょう。どれだけ"正しい"生き方をしたからといって、人生は思い通りになるはずもなく、どれだけ"正しい"生き方をしたからといって、社会はその人を認めてくれるわけでもなく、どれだけ"正しい"生き方をしたからといって、願いが叶うわけではないのです。けれども日々を怠惰に暮らしたり小さな罪を重ねたり不誠実に生きる人の願いは思いの外簡単に叶ったりするのです。それが世の中であり、社会なのです。 けれども、僕にはあまりにもセルジュの生き方が美しく思えて仕方がありません。どうしてあんなに美しく生きられるだろうと思えるほどです。彼の人生は決して幸せなものではありません。はっきり言って彼の人生は不幸だらけです。けれども、彼の不幸は、あまりにも彼をオリジナルで気高くて美しいものにしているのです。彼の人生が不幸だからこそ、彼の人生はあまりにもドラマなのです。そこに感動が起こるのは当たり前だと僕は思います。 僕も、音楽に対しては絶対に嘘をつかずに生きてきました。傷つくことを顧みず、人生を賭して音楽にすべてを捧げてきました。けれども、僕が誠実に、"正しく"音楽をすればするほど、僕の音楽は社会から否定され続けてきました。それは今も続いています。どれだけ良いものを作ったからといって、それが本当に良いものだからといって、それが社会から認められて評価されるかというとそういうわけではありません。社会はそういうものです。 僕はセルジュほど純粋ではないので、認められないことを悔しく感じることが多々あります。それでも、僕の作品リストを眺めてみると、僕はまるでセルジュのように真っ直ぐに自分の信じたものを、気高く純粋に美しく表現してきました。きっと僕の将来も、セルジュがたった一つ願った未来と同じように、最後の最後で報われることはないでしょう。そして僕もセルジュと同じように、そこですべてを失ってしまうことでしょう。世の中というものには流れがあって、はっきり言ってしまえば僕の音楽は社会に認められるべきものだったとしたらもうとっくに認められているでしょう。今の段階で認められていないということはこれからも認められることはないでしょう。けれども、セルジュの生き方と同じように、僕もそこを目指して音楽をしているわけではありません。そこを目指して生きているわけではありません。 数ヶ月間僕は全く曲を書いてきませんでした。色々なことがありました。そして、またこれから前に進もうと思います。
by Alfred_61
| 2009-04-12 23:20
| 日記
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