辛い頃は、市販されている薬の副作用に常に失いそうになる気を必死に掴みながら、時計の針が指す時間だけを頼りに食事を摂り、授業に出続けて、シャワーを浴びて寝ました。食事を摂るとは言っても、もちろん空腹感なんてなければ味も全然分からなかったりチョコレートだろうが普通の水だろうが何を食べても苦い味にしか感じなかったりしましたし、常に胃は悲鳴を上げていて嘔吐しそうになる気分を無理矢理我慢しながら生活を続けていました。 こんなに苦しいのに生きている意味はあるのだろうかと何度も思いました。もう命を自ら絶ってしまえばすべて楽になるのではないかとも何度も考えました。少しも良くならない体調に、精神はもうボロボロになっていきました。自分がどこまで出来るのか挑戦したくて自分で家を出て異国の地に足を踏み入れ、まさにその頃の僕は自分の限界というものを認識していました。そして、その一線を越えてしまうべきかそうしないべきか、毎日そればかり考えて生きていました。 僕が辛かった頃、それはすべて自業自得だったのです。自分が選んで自分の足で踏み入れ自分の手で掴んだ人生の到達点それだったのです。勉強しなさいとか、少しでも自立した偉い人になりなさいとか、そういうことを本当に忠実に実行したらどうなるか、それを身をもって感じたのです。実際に勉強で良い点を取ることや、他人に認められる偉い人間になるということは僕がしてきたようなやり方ではなくてある種社会を欺くような部分がなければ出来ないことだったのです。死ぬまで勉強すれば賢くなれるかというとそうではなかった、ということですね。 未だに僕は基本的に他人を頼りません。自分で実際死線を跨ぎかけた所まで積み上げてきたものが僕にはあるからです。普通にみんなと一線に並んで仕事をしても僕が人より仕事が出来たりするのはまあ当たり前なわけで、それは僕という人間の人生を理解できる人ならすぐに分かることなのです。作曲だろうが芸術だろうが普通に生きてきた人が感じられないことを感じ取って表現することが出来るのも、まあ言ってしまえば当たり前のことなのです。それが人間離れしていると言ってしまえばそれまでですが、その逸脱仕方も社会が認め尊敬するような方向でも範囲内でもないのですね。どちらかというと普通の人たちが目を背ける所を僕は躊躇いもなく表現します。それが作曲家としての僕の姿であり、自分の人生を踏まえた芸術の形なのです。
by Alfred_61
| 2009-05-17 23:55
| 日記
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