以前にその辺のおっちゃんおばちゃん類に「へえ~あんた作曲やるんでっか?一体どんな脳みそしてはるんですか?」と聞かれた事があります。関西弁ですからなんか喧嘩でも吹っかけているように読めますが、純粋に尋ねられたのですよ。 さて、これはとっても難しい質問です。確かに作曲なんてやっていると普通の感覚ではなくなってきます。物事を捉える視点の位置一つとっても上手く言えば「芸術的」悪く言えば「ずれている」訳ですが、それがどうずれているのかなんてなかなか言葉では表現できません。ですが一つ、誰に話しても気分を悪くしてしまう、僕なりのちょっとした考え方があります。・・・ですのでもしそういう可能性を自身に感じる方はこれより先を読まないで下さい。 では、ちょっと真面目な話を。僕はいつも作曲をするとき、自分の感覚をすべてあるがままに「逆変換」します。普段は「楽しい」とか「むかつく」とか言語で考えるわけですが、「逆変換」というのは言葉で表現できない純粋なレベルに回帰するということです。普段はここまでで講義やプレゼンテーションを終わるのでみんな「で、どうやったらそんなこと出来るの?」と睨んできます。その方法は幾つかあるのですが、一番効果的な手段が一つあります。 「もし明日死ぬとしたらどうする?」 この質問を自分に尋ね、本当に明日死ぬ事を想像します。すると自分が本当にしたいことが自ずと絞られてきて、その結果僕は少しでも曲を書きたいと感じるわけです。さらに時間がないわけですから何の音を書きたいかも絞られ、最終的に自分が本当にその時点で「欲しい!」と思う音から譜面に書いていける訳です。 死とは誰にでも平等に訪れる終焉の名前です。僕の現在という時間にも必ず終わりがあり、いつかは僕も死を迎えます。その時こそ自分という存在は他の何でもない「自然」という大きな流れの一部に回帰するのだと個人的には考えています。すると、今生きている時間なんてちっぽけな物で、僕の周りの社会がどうこうというのも莫迦らしく思えてきます。 人がどう思うかとか、金銭的な問題などはいつか自然に還る自分にとって一番大事な物であるべきなのかと考えると、それは違います。今という時間の貴重さを考え、今自分が音楽を書ける喜びを感じ、最も書きたい音から順番に書いていく、僕がやっているのはただそれだけです。作曲法に正否は存在せず、これがただ僕のやり方であると言うだけです。非常に虚無主義的な考え方ですので嫌悪感を感じる人も世の中には沢山います。まあ、ここまで来れば作曲法というよりも人生論みたいになりますが。結局ベートーヴェンの言った「音楽とは最も崇高な哲学である」という言葉の片鱗になってしまうのですが。
by Alfred_61
| 2005-03-18 13:35
| 日記
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