漫画家とかでも、ギャグ物をずっと長い間描いている方とかいますよね。アニメとかでも冗談だらけの作品を本気で作っている人達はいます。そういう人たちって、僕はとても尊敬出来るんですよね。コメディアンとか漫才師とかでもそうかもしれません。常に人に笑いを届ける仕事をしている方々って、人として素晴らしい人格者だと僕は思うのです。 ただ楽観的に生きたりするだけでは世の中は渡って行けません。辛いことからすべて逃げて生きることは出来ないのですから。辛くても、それでも道化のように人々に笑いをふりまき、ほんの一時でもその人の心を軽くしてあげる、それはもう癒しと言えると僕は思います。 音楽で言うと、モーツァルトが僕の感覚ではそれに当たります。辛いときにでも、あんなに前向きで喜びに満ちた曲を書けたのですから、そりゃあ天才と呼ばれてもおかしくないでしょう。例えば、かの有名なアイネ・クライネ・ナハトムジクはヴォルグガングが敬愛しすべての師匠だった父レオポルドの死後すぐに書かれたのです。悲しみに暮れていたはずなのに、それなのにどうしてあんなに希望に満ちて、喜びに満ちた曲を書けるのでしょうか。 ただ長調の曲を書けばそれで希望に満ちた前向きな曲になるかというとそうではないんです。長調だからこそ悲しい曲というのは世の中に沢山あります。例えばショパンの葬送行進曲の中間部なんて、そこだけ抜粋して演奏したとしてもとてつもなく悲しい曲です。自分が感じている感情をありのままに表現することが芸術家の理想であるかのように感じられることもありますが、必ずしもそうではないことを、僕は良く感じます。 喜びを、希望を届けること、そこにお金やビジネスや生計を立てる為の切迫感なんかが干渉すれば、それは上手くいかなくなってしまうのです。人生には悲しいことがあまりにも多いから、人生には辛いことがあまりにも多いから、だからこそ喜びを笑いを希望を人に伝えることほど難しいことはないのです。所詮音楽、所詮娯楽、所詮冗談、と言ってしまえばそれまで。それもまたしかり。けれども、たかが音楽、されど音楽。
by Alfred_61
| 2009-08-05 16:36
| 日記
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