理論なんてものはあくまでも基準にしか過ぎず、もっと言えばただの参考でしかありません。物事がすべて理論で説明づけることが出来るとしたら、それは人間が実行する必要のない作業であり、機械にノーミスで実行させることが出来ることだという意味になります。 上記の理由で、どうしても世の中には人間がやらなければ出来ないこと、機械では絶対に出来ないことというものが数多存在します。その代表例が芸術全般です。僕は作曲の専門家ですが、作曲をプログラミングしてアプリケーションとして構成し、人間がある程度雰囲気指定なんかをしてやるとそれなりの曲が出来上がる、というような夢のシステムは根本的に不可能なのです。世の中にはそういうシステムを作ろうとしているバカも沢山いますが。 人間には感性、言い換えれば論理では説明のつかない霊感的な行動原理を感じることが出来ます。なぜかは分からないけれど、此方の方が正しい道であることをはっきりと確信できる、という感覚こそが感性なのです。今日半年ぶりに散髪屋に行きました。そこでホストかと言うほど美男子の理髪師とそんな話をしていました。彼はお客さんの髪を手で触るだけでその人の髪の癖や性質、例えばパーマがかかりやすい髪かどうか、なんかが分かるそうです。 でも、彼は言っていました。論理的には細い髪にはパーマがあたりにくいそうですが、一概にそうとも言い切れないのだと。細くてもパーマのかかりにくい髪というのは存在し、それはもう理髪師一人一人が髪を触って自分の感性で判断しなければいけないのだそうです。僕は髪の毛に関しては素人ですので、そんなものは髪の毛を触っただけで分かるというのは全く理解出来ませんが、そういう感性に頼らなければいけない場面が存在することは強く理解できます。 作曲なんて、はっきり言ってしまえば感性が90%以上を占める芸術分野です。もちろん、人によれば黄金律をそのまま鋳型として使用し、例えば"Intro-A-B-サビ-A-B-サビ-ソロ-B-サビ-Outro"という曲構成をそのまま多数の曲に当てはめて作る人もいますが、これは言い換えれば理論に踊らされて、機械でも出来ることをわざわざ人間の不器用なやり方でやっているだけの非合理的な行為です。作曲でメロディー、和声、構成、テクスチャのすべてを全くの白紙から感性だけで作ると、誰でもオリジナル曲が作れるんですよ。でも、それをするには途方もない勉強と人生経験が必要となり、やはりそれは職人にしかできない専門職になるんですね。 例えば歌手が、こういう姿勢でこういう風に声を出せば必ず良い声が出る、という方法論に従って経験を積んだとします。で、その結果があのベルカント歌唱法でしょう。おかげでどいつもこいつも同じ声に聞こえるし、何言ってるか分からないし、何より全く個性が死んでしまっているじゃないですか。論理ですべて固めてしまい、じゃあ貴方のオリジナルな感性は一体どこに行ったのですか?と聞きたくなります。 要は、理論と感性はバランスを自らがとってそれぞれ有効に使っていかなければいけないのです。どちらに偏ってもダメだし、バランスを間違えるともう自分が最初に何をしたかったのかを忘れてしまったりしますからね。うん、結局はバランスなんですよ。人生でも同じです。
by Alfred_61
| 2009-10-18 23:55
| 日記
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