作りたい!と思える時間が四六時中という人はなかなかいないでしょう。僕は大学時代そういう生活をしていましたが、それはそれで何となく人間らしい"生活"というものを欠如しているので寂しく感じられたのですけどね。つまり普通にいつもの時間をいつもの通りいつもの人たちと過ごしていると、なかなか自分の気持ちそのものを"作りたい!"と思える方向へ持って行くことは難しいのです。朝起きて仕事や学校に行って普通に与えられたことをこなしてご飯を食べて帰ってきて寛いで寝る、それを繰り返すだけの人生ってそりゃあ素晴らしいものでしょう。そこで"作りたい!"を持ち込むことはどこかでそんな安定のサイクルに歪みをもたらすわけで、普通の人は進んでそんなことしようとは思いませんよね。当然です。 そういうのって"創作のスイッチ"と呼べると僕は思います。作りたいと思えるかどうかはそれすなわち自分が作曲家たるか否かみたいな話ですからね。そのスイッチがバカになっている人はもう芸術家とは呼べないでしょう。それが良いことか悪いことかを判断するのは僕のタスクではありませんが、ただ事実としてそういう人に創作をすることはできません。まあ、芸術家の人たちでもこのスイッチの入れ方を心得ている人とそうでない人はいますが。 実は、ここ数日僕はこのスイッチが入りっぱなしになっていたりします。仕事をしているときも食事をしているときもどこかで曲のことを考えているんです。今具体的に考えているのはアメリカの映画監督から来た、シーンのつなぎ目に使う小品曲二つ。そもそもこの映画のコンセプトを頭にたたき込んで曲を一気に書き下ろしたのは2年くらい前の話なのです。今作る曲がその頃作ったものとは性質の違うものになっては意味がないなと、もう一度頭の中にその映画の世界観をイメージし続けているのです。 先ほどじっくりピアノをいじりながら、先日書きかけでおいてあったフレーズをいくつか弾いてみて、肉付けしたり、シーンのイメージと重ねてみて鼻歌を歌ってみたりしました。今日は具体的な音源はできませんでしたが、大体曲のイメージは固まってきました。明日、明後日も仕事なのですが、この二日間は責任者ではないので適当に仕事しながら曲のことを考えようと思います。 やっぱり音楽は芸術なので、言い換えれば非現実とも言えるのです。つまり、楽しくて充実した日常を壊したくない人にとって芸術活動というのは天敵のようなものなのです。芸術が日常に与える影響は大きく、その影響は言い換えれば自分の大事な人たちに迷惑をかけることを意味したりもするのです。それでも芸術をするのか、というところですよね。スイッチを入れるのも、スイッチを眼前にして敢えてそれをONにしないのも、それはすべて自分の決断なのです。 今は僕は"作りたい!"で頭の中を一杯にしています。周囲からすると良い迷惑なのですが、それでも僕は作曲家ですから自分の欲求、理想を追うのです。僕にとって変化こそが人生を充実させる鍵なのですから、周りが理解しようがしまいが自分の信じた道を歩きます。あ~、明日明後日で何とか形にしてしまいたいな。
by Alfred_61
| 2009-10-30 21:57
| 日記
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