以前の記事でアンサンブルの醍醐味や難しさを書きましたが、今回はちょっとソロ演奏について書いてみたいと思います。アンサンブルとは違って誰かと「心を重ねる」事が出来ないソロ演奏では、なかなかグルーヴ感などに頼ることは出来ません。僕は演奏家としての肩書きは一応オルガニストなのですが、オルガン演奏はどちらかというとソロと言うより指揮に近いので、それについてはまたいつか書いてみたいと思います。 例えば単旋律楽器の場合はどうでしょう?厳密に言えば単旋律楽器とは違うのですが、クラリネットやフルート、もしくはヴァイオリンならばよりソロ楽器としての要素を持っています。例えばバッハの『無伴奏ヴァイオリンの為の3つのパルティータ』などは良い例です。ああいう音楽を弾く場合はアンサンブルとは全く違う音楽的要素を必要とします。 まずソロの特権としてリズムやテンポが自由だという事があります。リズムという物は例え1,2,3,4と4拍子を刻んでいても、必ず第一拍目が一番長く、その次に第三拍目が長く、そして第四拍目が続き、第二拍目が一番短いのです。文章では非常に表現しづらいですが、強調すればターーー、タ、ターー、ター、という感じになっているべきなのです。この長さの違う4つの拍をアンサンブルでやる場合は呼吸やジェスチャーを交えてじっくり練習しないとなかなか音楽的に自由で脱力した拍子にはなりません。でも、ソロならば一人ですのでどこを伸ばそうが縮めようが自由です。ショパンのピアノ曲などは大抵rubatoという「伸縮を持って自由に」という指定がありますが、これはなかなかアンサンブルでは出来ません。 個人的にはソロの特権の一つに「間」の使い方があると思います。僕の作曲には必ずこの「間」という音楽的要素が組み込まれているのですが、これはソロの方が断然に表現しやすいです。以前日本の先生に教わったことですが、「休符は音符と全く同じ価値を持った音楽表現である」と言う言葉があります。アンサンブルで息を合わせる代わりに、ソロでは自由に息をつくことが出来るわけです。 ただし、ソロの場合は個人の音楽的センスにすべてゆだねられているので、誰かと話し合ってより良い結果を導く事は出来ません。(先生などに教わって、その先生が言った通り弾く以外は。)個人が本当に良いと「自分の知らない自分」のレベルで思えた音でなければ幾ら他人に押しつけられた概念を表現しようとしてもそれは良い音楽にはなりません。「これだ!」と思えるまで練習し、頭の中で音を鳴らし、じっくり一人で曲を向き合わないといけません。非常に孤独な作業ですが、自分一人の力で良い音楽にたどり着いたときの喜びや達成感はアンサンブルとはまた違った感動があります。ちょっと比喩的に言えば海外旅行をするのにパック旅行をするのと一人ですべて計画して行くのとの違いのような物です。それぞれにそれぞれの良さがあり、それは個人の主観で選ばれる物です。 僕は個人的にソロタイプの演奏者だと思います。自分の信じる音楽が他人と根本的に違うと感じる部分が非常に多く、アンサンブルをやっても自分が自分がとみんなを引っ張らないと気が済まないのです。オルガンという楽器を弾いているのはそういう理由もあり、自分には最高の楽器だと思っています。一番大事なのは自分がどういうタイプなのか自覚し、それに合わせて自分の道を自分で選んでいくことだと思います。言葉では簡単に聞こえる割に、これはやってみればとても難しい事なのですが。
by Alfred_61
| 2005-03-28 11:05
| 日記
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