いつもは大勢人がいて、みんなで何かに向かって打ち込む、そんな空間は世の中に沢山あります。それこそ学校や職場や、駅のホーム、満員電車の中、お昼の大衆食堂、色々あります。僕は昔から、そういう空間に、誰も来ない時間に一人でぽつんといるのが好きでした。 日本の高校に通っていた頃、僕は毎朝始業の一時間半くらい前に登校して、一人で英語の勉強をしていました。誰もいない教室というのは、本当に自分が自分らしくあれる空間のように感じられたのです。教室とは生徒達や先生達が使うもので、大勢が一つの方向を向いて同じことをして決まった目的を目指します。そんな空間に誰もいない時間というのは、つまりみんなとは違って自分が一人で学問と向かい合い、自分なりのペースとやり方で取り組める、そんな貴重なものだったのです。 時間になれば下校しなければいけないのは職場でも同じです。定時退勤日なんて今の時代は珍しくありませんし、強制的にその空間から追い出されるのです。自分が自分なりに何かに取り組もうと思っても、それは社会が許さないのです。ホワイトカラーの世界にいるとそもそも自分で考えて行動してはいけないので、そんな職場にいても自分はどこへも進めないし本当の意味での成長も出来ないんですけどね。 社会の大半が会社に行っている時間に僕は少し郊外に出て山を眺めたりしています。そういう時間というのは、本当に自分らしくあれるのです。休日に山を眺めに行くと、周りは同じことをしている人たちで一杯になります。それではダメなのです。自分一人にならなければ、本当に自分が何を感じ何をしたいのか、見えることはないのです。 自分探しがしたいなら、先ずは普通の人が絶対にしないことをしてみるのが一番です。僕の場合は、高校生の頃誰しもが始業ギリギリに登校したいのが当たり前の中、誰も望まない始業一時間半前登校なんていうことをしていました。そして、それもただボーッとするためではなく、僕はそんな時間こそ誰もしたくない勉強をしたのです。僕の周りは偉いなと言いましたが、それはその姿勢ではなくて、そういう普通とは違うこと、誰もしたくないことを進んでしたいと思える気持ちにこそ、評価されるべき言葉だと僕は思います。
by Alfred_61
| 2010-02-20 23:55
| 日記
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