初恋に破れた頃の僕、若干18歳でしたが、あの頃はその辛い気持ちややるせない感情を誰かに聞いて欲しくて、夜中なのに友達を呼び出して愚痴を聞いて貰ったりして、それでなんとなく自分の気持ちを楽にしていました。そういうことは基本的にほとんどの人がしていることで、やはり辛いことを誰かに聴いて貰うということ、理解して貰うということはどこかで安心や納得に繋がるんですよね。 でも、根本的には何も解決しないんです。人に聞いて貰って自分を知って貰ったからといって自分の人生の何が変わるわけでもなく、何が改善されるわけでもないのです。少しでも上の世界へ、具体的に言えば作曲の世界で技術も立場も上へ持ち上げたくてひたすら足掻いていた頃、僕はそういう理由で自分のことを人に話すことをほとんどしなくなりました。その期間は実に5年にも及んだのです。 そんな時期があって、日本に帰国してからも僕は辛いとか苦しいとかいうことを他人には決して見せることがありませんでした。元々僕はお酒を飲んでも顔に出ないタイプで、自分が卒倒しそうなくらいの目眩を感じていても、他人から見ればいつもの僕に見えるんですね。顔色が悪いとかいうことはあんまり僕にはなく、というか元々あんまり顔色が良くないのでみんなそういうものだと思うんですね。笑わないのは僕の癖みたいなものですし。 その結果、僕は今、他人に自分のことを売り込んだりすることをしていますが、とことん自分が自分を言葉や文字で表現することを苦手としていることを感じます。僕にとって自己表現とは99%が音楽であって、文字や言葉ではとにかく表現が下手なのです。話が長い、要点が見えない、それはホワイトカラーの世界で散々言われたことでした。 僕は心のどこかで他人に自分を理解して貰うことを諦めているからなのだと思います。辛いと感じてもその気持ちを自分の中にだけ留め、それを積み重ねていって自分を作っているのです。良く「話さなければ分からない」と言われますが、僕は"話しても分からない"と信じているのです。それはきっと、随分長い間本当の自分というものを誰にも理解して貰えなかったことが原因だと思います。 結局僕は他人の前で話をするときは、基本的に対外的な僕というハリボテの話をするのです。その中にある本当の自分は、どうせ見せたところで理解も出来ないし感覚することさえ他人には無理だと僕は心の底で信じています。ハリボテの内側を少しでも引き出せる人というのは確かに何人か周りにいますが、中核の部分は他人からは絶対に見えないのです。僕が見せようとしても、それは見えないのです。 人と人というのは究極的にはそういうもの。ハリボテの関係を作り上げて、そこでそれとなく面白いことが出来てお金が稼げれば社会は回るのですから、本当の自分なんて表現することはおろか、持っていることすら無意味に思えてきます。ああ、だから世の中には自分を持たない人が多いのですね。
by Alfred_61
| 2010-03-14 21:05
| 日記
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