この間病院に導入した新しいシステムの動作確認立ち会いをするという仕事をしていたのですが、診察室の前で一日中待機しているというこの仕事の中で色々と考えることがありました。95歳になる女性に対して、医師がしきりに大がかりな手術を勧めていたんです。大きなポリープが出来ているために、それが原因で死期が早まる可能性が非常に高い、ということでした。 けれども、女性は非常に落ち着いた声で、私はただ安らかに死ねたらもうそれだけが今の人生の望みです、と言いました。95年生きてきた人にとって、もう人生は振り返ることの方が多く、一寸でも長く生きたいとか、一寸でも命を長らえることがベターという考えはもうないのですね。まあ、手術にお金を使うことに対しても特に何も感じていない様子で、最後には半ば適当に医師の薦めを受けて手術の日程を決めていました。 生きていることが当たり前だから人は思い煩い、苦悩して生きるのです。何が欲しい、これがこうなって欲しい、自分がこうなりたい、というような欲求は自分が生きているということが大前提として思いこみレベルであるんですよね。まあつまり、本当に明日死ぬかも知れないと心の中で決意のように感じながら生きている人は無駄な欲求や思い煩うことがないんですね。 そりゃあそうでしょう。金や人間関係なんて自分が死んでしまえば全部消えてしまうただの絵に描いた餅ですからね。逆に、そんなものよりももっと自分が生きている今を充実し感動出来る為の努力や行動というものは、きちんと自分の死期を悟っている人ならば出来ることだと僕は思います。 一週間後に死ぬなら、今すぐ仕事を辞めて出来るだけ長い間家族と一緒に過ごしたい、と感じるのは当然だと思います。自分の愛するその人が今朝家を出て仕事に向かう時、その「行ってきます」が最後の言葉になると分かっているなら、一言その人を呼び止めて愛の言葉を伝えるでしょう。でも、人間はいつでも愚かなもので、物事が取り返しの付かない状況になって初めてその重要さやありがたさや、こうすれば良かったの後悔を感じるんですね。 僕は、自分の人生に一片の後悔もありません。今世界が終わっても、悔いはありません。自分の大事な人たちには、伝えるべきことはとっくの昔にすべて伝えてあります。どうにも僕がそうやって生きていることを、やはり今の段階では理解できない人が僕の周囲には多いです。まあ、そこが人の愚かなところですが。そして、その人が将来僕のそういう大意を理解する時が来て後悔することがあったとしても、僕の知ったことではありません。
by Alfred_61
| 2010-04-10 23:55
| 日記
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