この曲を聴くとどうしても自分が最も辛い病気で長い間苦しんでいた頃を思い出す、という曲が僕にはあります。同時に、この曲はどうしても辛かったときに心を安らげてくれたものだと記憶している曲もあります。その音楽が良いか悪いかは別として、音楽と人の経験した過去の記憶というものはどうも強い結びつきを持つときがあるように僕には思えます。自分が大切にしていたものが壊れた時に聴いていた曲であったり、受験勉強で頑張っていたときに聴いた曲であったり、初めて失恋した時に聞いていた曲だったり、と。 映画なんかのサウンドトラックやテーマ曲はストーリーに合わせて作られます。まあ、中には既製の全く関係のないコンセプトで作られた曲を宣伝目的のタイアップでテーマ曲に使う映画会社とかもありますが。それは良いとして、決まったストーリーの決まった場面に流れる映像という強い視覚的なイメージと結びつけた音楽がサウンドトラックです。だから、サウンドトラックを聞いているとその映画を見たことのある人の大多数がその時に見たシーンを思い出したり、ストーリーを思い出したりします。それは言い換えればもう変えようのない答えを最初から与えているようなもので、良く言えばより多くの人に決まった印象を与えることが出来るのですが、悪く言えば音楽という相対的な芸術においてリスナーがそこに個人的な想い出や記憶を結びつけることを許さないのです。 まあ、サントラはそれはそれできちんとした音楽の形ですから、それはそれと割り切れば別に問題はないと僕は思います。でも、サントラやタイアップという形で曲のイメージを無理矢理何かと結びつけるやり方は、それが社会に多く広まれば広まるほど一般リスナー達が自分で音楽に対して個人的な感情や記憶を結びつけることをしない傾向が強くなっていきます。簡単に言えば、与えられる答えを受け入れるだけの受動的な鑑賞方法しか出来なくなり、音楽に自分の能動的な感性を載せてより自分を高みへと押し上げるようなことが出来なくなっていくんです。 そう言い始めると曲名さえも、「この曲は恋の曲なんだ!」と例えば"Love Song"と銘打つことでリスナーにある意味答えを強要していることになります。これが度を超すと純音楽のような考え方になるわけですが、でもそれもまた音楽の一つの形であって、否定することではないと僕は思います。 僕はどうしてもその曲を聴くと泣いてしまうという曲がいくつかあります。色々な記憶が呼び起こされるからなのですが、それにはどうしても逆らえないのです。そうやって僕が持っているその曲と涙の記憶との結びつきは一度僕の中で確立してしまっているので、それを外的に変えようとすることはまあほぼ不可能なことでしょう。それこそ他人の信念を変えるくらいのことだと思います。でも、それもまた音楽の形。泣きたければ泣けば良いし、笑いたければ笑えば良いと僕は思います。音楽に一般的なもしくは社会的な答えはありません。答えはいつもその曲を聴いている自分の中にしかないのです。
by Alfred_61
| 2010-07-06 23:55
| 日記
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