適材適所とよく言いますが、自分という材にとっての適所とは一体どこにあるんですかね。僕はいつもそれが不思議で仕方ありません。確かに世の中には特定のタイプはこういう道を進んでこういう立場に立ってこういう仕事をすればいい、という筋道というかレールがありますが、僕は少なくとも社会に存在する分類できるタイプ群のどれにも属さない、所謂例外です。 日本の教育も社会も家庭レベルからごく一般的な"普通の"人になることが良いことだと僕たちに刷り込みます。出来るだけ突出した能力や意見を持たず、出来るだけ大局に合わせた所謂長いものに巻かれる性格や性質を培うことを促してくるのです。でも、自然に育てばすべての人には個性というものが備わり、個々は独立したオリジナリティとなります。オリジナリティということは他に同じものがいないわけで、それは言い換えれば例外とか異端とかいうわけです。 枠からあぶれた人には、"適所"はないのでしょうか?どうでしょう、僕自身はこの質問に対する答えを未だに見つけてはいません。少なくとも僕自身にとって適所というのは未だに見つかっていません。でも、もしかすると今自分が立っているこの場所こそが実は自分にとっての"適所"なのではないかと思うこともしばしばあります。 社会的な成功やお金という物差しにどうしても僕たちは惑わされます。お金が稼げないから今の状態は良くない変えなければいけない、と考えるのはお金というものに縛られているからでしょう。有名になりたいと思うのはやはり社会的な成功を求めてのことでしょう。けれども、自分自身にとっての成功とは何か、それを突き詰めれば意外とお金も名誉も関係ないところに本当の充実感があったりするんですよね。 とりあえず生きている今を喜んで感謝していれば、人生はそれなりにそれなりの方向へと進んでいきます。自分にとっての"適所"を探すという行為にきっとゴールはないのでしょう。いつまで経っても自分にぴったりのポジションなんて手に入りませんよ。今はそれを夢見ていても、10年後にそれを手に入れたら今度はもっと上の何かを求めているんですよ。人間なんてそんなものです。自分の時間が流れ、常に自分が変化を続けている以上、自分にとっての"適所"も刻一刻と変化しているのかもしれません。
by Alfred_61
| 2010-08-08 23:55
| 日記
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