初恋の相手は献身なクリスチャンだったので、まあ必要以上に僕は彼女と付き合っていた頃キリスト教への改宗を薦められました。僕にはキリスト教の神様を信じる理由がなかったのでずっと断り続けたのですが、ある日彼女がシカゴの教会で日本人の宣教師と出会い、その人から僕宛てで手紙を持ってきたことがありました。そこに書いてあったのはこんなことです。 "貴方は自分が死んだあとどうなると思っていますか?宗教は貴方自身が死んだあとどうなるかを決めるとても大切なことですから、逃げずにきちんと彼女の話を聞いてあげてください。" その頃の僕は肉体的にも精神的にも健康そのもので、大きな病気も怪我も経験したことはありませんでした。念願のアメリカ留学も経験して初めての彼女が金髪のアメリカ人で、もう自分としては順風満帆だったのです。何も足りないと感じていませんでしたし、何も欲しいと思っていませんでした。 宣教師の手紙を読んで思ったのは、その時の僕にとって死後の世界は死んでから考えればいいんだから生きている間に死後のことを考える必要はない、ということでした。あの頃は死に対するごく普通の恐怖や畏れは感じていましたが、それでも死は当時の僕にとってとても遠いものであって、それこそ自分はあんまり関係のない話だと考えていたのです。 その後、大学に入学して数年後に身体を本格的に壊し、様々な精密検査を受けてもなお原因不明のまま自分はいつ死んでもおかしくないほどの苦しみを感じていました。はっきり言って死んだ方がマシだと感じていました。このまま苦しんで死ぬならそれはそれでもう良いと考えていたのですが、数年かかって僕の身体は徐々に回復していきました。あの時、生まれて初めて僕は神様の声を聞いたように感じました。「お前はその程度の苦しみで死という救いを与えられるような魂ではないのだから、もっと生きてせいぜい苦しめ」と言われているように感じました。 今でもその感覚は僕の根底にあります。昔シカゴの日本人宣教師から送られた手紙は、今思い返してもだからといって彼の薦めた宗教に改宗する理由が僕にはありません。死後に対してや死そのものに対して不安を感じるならきちんと自分に合った宗教を選び教義を実行するべきだと僕は思いますが、僕にはその必要がどうしてもありません。なぜなら僕にとって死は救いだからです。どちらかというと、僕は死んでから苦しかった生前を振り返ってそれを肯定するために宗教を必要とします。まあ、ちょっと昔のことを思いだしたので。
by Alfred_61
| 2010-10-28 23:55
| 日記
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