アメリカの音楽学校に入学が決まった時、やっぱり嬉しかったです。今になって価値がやっと理解できるようになりましたが、僕が行った学校はIndiana University Jacobs School of Musicというところで、日本からは東京芸大出身者などが進学するような学校でした。僕は何にも知らずにこの学校を受験して、一年かけて実力で教授達に自分の能力を認めさせ、何のバックアップも実績も受賞歴も有名教師からの推薦状も何も持たずに本人の可能性のみという前代未聞の持ち物であの保守的な学校を動かしました。おかげで心底勉強させられましたが。 入学した頃は、自分はそこからエリートの道を歩いていくのだと思っていました。入学すれば成功が約束されていると思っていました。もちろんそれ以前に僕は勉強がしたくて入学したのですが、それでも心の底ではこんな学校に入学しきちんと卒業できたらきっと色んな道が開けてくるのだと信じていました。実際、日本では東京芸大など在学中から色々なチャンスを与えられプロの世界で経験を積み挑戦していくことが出来ます。大きな音楽番組の背後で演奏しているオーケストラが芸大生だったりするのは僕も知っていました。きっと彼らのように、僕も在学中から一線で活躍できるチャンスが与えられるのだと思っていました。 しかしまあ、入学してみたらあの学校は勉強するには最高の学校なのですが、学校は学生にチャンスを与えるようなことはほとんどしませんでした。何より、僕の学校は音楽学校としてはマンモス校で、しかも世界各地から実力者が集まっていましたから、奨学金を得るだけでもよっぽどの実力と運がなければいけませんでした。 実際の音楽学校内では、とにかく自分を磨くことにすべての学生が全身全霊を賭けていました。僕ももちろん同じように自分対音楽の一対一で研究と探求を積みました。で、結果としてまあ世界的に有名な音楽学校を僕は卒業しましたが、だから一体何だと今なら思います。そんな学歴やステータスの一体どこに僕自身の音楽が本当に良いものだと人に誇れる意味があるでしょう。学歴や実績やステータスをいくら誇りにして、それで一体どれだけの人に僕の音楽の本懐が伝わるでしょう。卒業証書なんてただの紙切れです。僕は卒業式にさえ出ませんでした。僕には何の意味もなかったので。 名門大学を出て、僕は誰でもない僕自身にもう一度戻りました。"凄い学校を出た"なんていう接頭語をつけて社会から見られるなんて、僕にはもう我慢の出来ることではありません。そんな下らないことを全部捨てて、僕自身の音楽を、銘柄のないボトルに入ったワインを愉しむように聞いて欲しいです。 同じ学校を卒業した友人達も、それぞれがそれぞれの道を選んで生きています。僕はステータスをすべて捨てて音楽の本質を探究する芸術家の道を選びました。先生になった人もいます。商業音楽へ進んだ人もいます。音楽ではなく英語の先生になった人もいます。学者になった人もいます。進む道は人それぞれです。自分が自分らしく生きられる道をきちんと歩いていれば、その道が例え社会的に褒められたものではなくても、それは充実であり幸福であり成功であると僕は思います。
by Alfred_61
| 2010-11-04 23:55
| 日記
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