音楽という芸術は時間軸に縛られています。そんな音楽をやっていて、実際に曲を作るということを通して、最近強く感じることがあります。それは、今のWeb2.0時代における一つの落とし穴とも言えると思いますし、僕たち芸術家のすべてがきちんと理解しておかなければいけないことでもあると思います。それは、芸術に対する評価にも時間軸に沿って変化があるという事実です。 ファン・ゴッホの芸術なんて、生きている間に発表されたものはどれもこれも最低の評価を受け、彼の絵画の中には現在数億円で落札される作品であっても彼の生前当時には鶏小屋の扉に使われていたものもあるのです。つまり、簡単な話、現在ウェブ上で各種ユーザが色々な物事に対して評価をしているわけですが、それはあくまでも"今"という時間軸上の一点で下された評価に過ぎず、それが100年後同じように評価されるかというとそうとは限らないのです。 もっと言えば、今エンドユーザの一人一人が意見を公表することは"今"という時点の世論が下した判断となることは確かなのですが、けれどもそれが必ずしも評価の対象となる芸術作品の本当の価値なのかというとそれは全く分からないのです。今自分が視聴している作品に対して批評を公言したとしても、そもそも自分自身さえその意見を10年後変わらず持ち続けているかと言われると自信がなくなってしまうものです。 何百年も経ってから振り返って発掘されて評価される芸術もあります。バッハなんて良い例です。彼はメンデルスゾーンの存在なくして西洋音楽史に燦然と輝く今の栄光はなかったわけですからね。でもそう考えると、今現在の統計で批判が多数になったからといってその作品が芸術的に価値の低いものかというとそれは言い切れないわけで、そこは世論なんてものの基準で測るのではなくきちんとした審美眼を持って個人として誰かが評価するべきなんだと僕は思います。 ただ、時代はそういうことを忘れつつあります。世論がこう言うから、こういう批判があると予測されるから、と無理矢理こじつけて芸術を規制し拘束しています。実に下らない。だから僕は音楽でもメインストリームと関わるのが嫌なんです。まずは自分が良いと信じた芸術を表現することが僕たちの仕事ですからね。そこで評価やうんたらと考えるのは野暮だと僕は思います。時間は常に流れているのですから、言ってみればこれからどうなるかなんて誰にも分からないわけです。ならばとりあえず作ってみる、とりあえず演奏してみる、それで良いんじゃないでしょうか。というか、僕たちには元々それしか出来ないんじゃないですかね。
by Alfred_61
| 2010-11-24 23:55
| 日記
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