学生だった頃、それこそ中学高校なんかに通っていた頃、どうしても漠然と教室に座って授業を受けていることに違和感や不毛感を感じていました。良く言われたのが「学生の仕事は勉強すること」です。でも、そんな言葉、当時は全く理解も納得も出来ませんでした。当たり前です。だって、学生は勉強するという"仕事"に対して対価を全く貰わないのですから。 例えば一時限の授業を受けると1000円貰えるとか、そういう決まった対価が与えられるなら、どんな人でも喜んで授業に出るでしょうし、さらにテストで良い点を取れば+αが貰えるとかなれば必死に勉強するでしょう。でも、学生には評価というものしか与えられず、勉強をしたから自分が具体的に何を得るのかなんてはっきり言って分かりませんし、事実"具体的"には何も得る物はないわけです。 そりゃあ学生の頃には漠然とした不満が溜まり、それが音楽という形で出てくることも良くあって当然でしょう。でも、社会人になると、働いたらそこには対価が発生するわけで、そりゃあ安い高いはありますが、それでも行政が規定する最低賃金は貰えるわけです。それが直接的な対価となり、それが自分の食べる物や着る物や家賃を払う元金になるのです。これなら多少の不満はあっても、学生の頃のようにがんばっても全く報われないような感覚はないでしょう。 仕事が生き甲斐になる、というのも基本的にはそういう構造になっているのではないでしょうか。自分がやりたい仕事であるかそうでないかは別として、その仕事に従事することで対価を得ることが出来るために、その仕事を続けることが人生そのものになっていく、ということだと僕は思うのですが。まあ、端的に言えば"報われている"からそれが生き甲斐となりえるわけですね。 働いてもお金にならないのにその仕事を続けていく人は世の中にまあそんなにいないでしょう。それなのに学生は勉学という"仕事"を続けても一銭の儲けにもならないのにそれを強制されるわけです。単純に対価としてのお金を考えるとこんな考え方になります。 でも、実際にはお金には換えられないものを学生時代の勉強からは得ることが出来るんですよね。それは年をとってから理解出来ることだったりします。もっと言うと、世の中には"仕事"であっても、対価としてお金ではなくもっと崇高な何かを得ることが出来るものもあるのです。 お金がなくては生活できない、というのも一理ありますが、逆説としてお金だけあっても生活できない、とも言えます。人生の充実や生きている実感、やりがいや達成感、愛情と言い出せばきりがありませんが、人生にはお金以外に絶対に必要なものは沢山あるのです。貧困とは金銭的な意味でも使える言葉ですし、同時に金銭面以外の意味でも使うことが出来ます。心や文化が貧しくなっては、いくらお金があってもただの紙切れです。 僕たち音楽家が立っているのはその隙間だと僕は思っています。人の心や文化を豊かにすることが第一目標で、それを達成した結果として金銭的な儲けが付いてくる"場合もある"というだけだと、僕は音楽活動全般に対して思っています。僕たち音楽家が報われる、というのはかなり複雑なことだと自覚しています。
by Alfred_61
| 2011-01-03 23:55
| 日記
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