曲を書いていく上で、そりゃあメロディーとかフレーズとかリフとかそういう単位の発想はあります。でも、そういう一括りの単位としてある構成物を今度は曲という大局においてどういう風に展示するかというのが、まあ簡単に言えば曲の展開構成です。一般的にポピュラー音楽で使われる展開構成はある程度鋳型のようなものがあり、こうなれば次にこうなるという基本ラインがあって、それをどういう風にいじくるかで作曲家は個性を出そうとします。 なんとなく今思ったのですが、これって古典派時代にスケールを崩してメロディーを作っていたのと気持ち悪いほど似ています。ロックや歌謡曲において展開構成は独創的であってはいけなくて、それはある程度一般的に"理解可能な"範囲内に収まっていなければいけないのです。もちろん、そうでなくてはいけないなんて規則はありませんが、社会的にそう決まっています。暗黙の内に。 果てしなく"一般的"で"ポピュラー"なフレーズやメロディーを、もしも展開構成的にとてつもなく独創的な扱いでまとめて一曲に仕上げるとします。でも、いくらその展開構成に説得力があろうが圧倒的な表現力があろうが、そんな曲をメジャーレーベルなんかに持ち込んでもまあ相手にされません。なぜなら展開構成の王道性こそこの国のメジャーレーベルさん方がしがみついてきた金のなる木だったのですから。 クラシックの世界に行くと、曲の中にはストーリーがあったりします。もちろんそんな曲ばかりではありませんが、例えばオペラなんて広く言えば劇の始まりから終わりまでが1曲です。それはもうとてつもなく大きな展開構成によってまとめられた巨大な音楽という芸術なのです。クラシックというジャンルの一番の強みがその展開構成の自由さだと僕は考えています。 まあ、人生と同じで、音楽も始まってしまえば曲の途中で何が起こるかなんて本当は予測できないものだと僕は思っています。Aメロが来たら必ずサビがあるなんて、何もかもがそう決まっているはずはないのです。すべての人の人生が当たり前のように幸せなことはないのです。予測不可能なことは往々にして起こるわけで、音楽にそれが起こらないと規制してしまうのはどうかと僕は個人的に考えています。 曲の中のストーリーはそれぞれ違います。例え同じリフやメロディーが違う曲中に現れたとしても、それらが展開構成上違う意味を持って表現されているなら全く違うものとして聞こえるでしょう。いや、そう聞こえさせることは作曲技術上可能です。
by Alfred_61
| 2011-02-02 23:55
| 日記
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