春が来ます。今日の大阪市内は相変わらず風が強く、日光が当たっている場所でも肌寒く感じました。けれどもここ1週間ほど毎日通っている中学校の校門に咲いているソメイヨシノは、もう下から6分目位まで桜色になっていました。 毎日花が少しずつ咲いていく様は、そこを毎日同じように通っていても季節が流れていることを感じさせられます。今日は今書きかけている楽章のスケッチを進め、その後は新しい楽章の構想を考えていました。今までは冬から初夏を思い描いた曲がほとんどでしたが、これからはもう少しだけ、春の曲を増やそうと思います。 身体はもちろん疲れていますが、曲が毎日少しずつでも進んでいくので精神的にはかなり充実感を感じています。今回の曲、無伴奏ヴァイオリン組曲は20曲以上で構成される、恐らく僕が今まで書いた中で全体を通して最も長い曲になると思います。今までの曲で一番長いものでも30分を超えるものはありませんでしたが、恐らく今の段階で出来ているスケッチだけでも既に20分を軽く超えています。 今構想中の楽章は7つほど。まだまだ曲は書き始めたばかりの感じがあります。どうなるかは結果を振り返らないと分かりませんが、2時間近くになるんじゃないかと予想はしています。別に2時間の曲にしようと考えて書いているわけではありませんが。結果としてそうなってもそうならなくても僕にはどうでも良いことです。 自分は自分らしく、それがなんだかここ最近やっと実行できてきているように感じます。周りに合わせて生きると自分はいつの間にか自分の中にさえいなくなってしまうのです。その代わりに周囲と自分との間に関係や、場合によっては蜃気楼のようなアイデンティティが生まれます。他人に見られる自分と、他人に見られていると感じている自分、それが当たり前になっていくと、いつしか自分の中には自分がいなくなるのです。 それが良いとか悪いとか、そういうことは個人が勝手に感じて決めれば良いことだと僕は思います。ただ、僕は自分の中に自分がないのは、生きていてとてつもなく苦痛に感じます。"他人と自分との間にある自分"を、時々何の前触れもなく衝動的にぶち壊したくなります。まあ、多分僕という人間はそれを実際に今まで何度も実行してきたのですが。だからきっと、ただの思いつきでこの先にも同じようなことをするんでしょう。それで社会的地位が失われて職を失い路頭に迷うとしても、僕はそこに次の可能性が見えているかいないかを度外視してとりあえず気に入らないものをぶち壊します。保険がなければ行動を起こさない、そんな性格ならばきっと僕の周りにはもっと近しい仲間が沢山いたことでしょう。 僕が僕らしくある、というのはつまり他人と違うことをする、ということなんじゃないかと思えることもあります。言い方は変ですが、ただ単に僕が自分の内にある自分の意志で行動したらそれが他人と違う行動になる、というだけの話なんですが。 明日も僕は仕事の合間にスケッチを続けます。もっともっと書きたいものがあります。
by Alfred_61
| 2011-04-04 23:55
| 日記
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