僕はどうしても音楽を聴いていて、特にそれがコンセプトを持って制作されている場合にはそのコンセプト自体と音楽作品の内容がずれている場合に酷い違和感を感じます。コンセプト通り、所謂プログラマティックミュージックと呼ばれるものですが、特にサウンドトラックや劇中歌で良くこの違和感に出会います。違和感を感じてしまうともうストーリーが頭に入ってこないほど幻滅してしまうんです。 例えば、太古の音楽を模す為にモード音楽であったりペンタトニックスケールを用いている場合なのですが、いやいや古めかしくしたければリズムのことも考えて欲しいものです。どうして古い童歌や讃美歌風単線律曲にシンコペーションが存在するんですか。もっと言えばどうしてメロディーが元々分かりやすい4/4拍子なんかを持っているんですか。音階だけ古くすれば、もっと言えばピッチだけ古めかしくすればそれでいい、なんて作曲者が相当にコンセプトを軽んじて作っているのが目に見えてもうストーリーどころではなくなってくるのです。 さらに枠を広げて例を出しますが、どうして日本の原風景を捉えたような描写のシーンに壮大なフルオーケストラの音楽がつくんですか。しかも西洋機能和声音楽の粋を集めたようなものだったりするんですよね、大抵は。映画音楽にフルオーケストラの壮大な音楽を使うのはハリウッドで始まったただの文化に過ぎず、別にそれに従う必要もそれを模す必要もないはずなのに、どうして映画の最初は壮大なフルオーケストラを映画の内容に関わらずまるでそれが当たり前であるかのように聞かなければいけないのでしょう。 そりゃあフルオーケストラでも近代的な使い方をしていてきちんとシーンに合った曲や演奏になっていればそこまで違和感は感じないのです。バックスバニーにロッシーニを使ってもそれがシーンとマッチしていれば全然問題ないんですよ。でも、「映画だから"映画音楽"っぽく」とでも安直に考えているような制作側の起草動機が見えてくるから幻滅してしまうのです。商業音楽をやっているならそこはきちんとプロ根性を見せて欲しいと一視聴者として強く感じます。「これでいいや」なんて気持ちをほんの少しでも持ちながら制作をしていたなら、それは作品に出てくるんですよ。リスナーがそれを感じていないとでも思っているのでしょうか。 どんなに時間に追われても、どんなにクライアントの細かい依頼に応えなくてはいけなくても、どんなに自分の考えとは違うことをさせられても、それでもビジネスとして一級品を作るのが商業作曲家の仕事でしょうに。"自分"くらい殺せないで商業音楽は出来ませんよ。そしてやるからにはきちんと音楽のことを調べて理解して研究して、それからコンセプトに合わせたものを作って欲しいものです。違和感だらけのサウンドトラックはもういい加減に聞くのが嫌になってきました。せっかくストーリーが好きでも音楽ですべてぶち壊されたりしますからね。
by Alfred_61
| 2011-10-10 23:55
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