SOUND GATE ZEROのPiece 7は無事完成し、早速音源と楽譜をジョンに贈りました。ジョンはとりあえずしっかり曲を読んで理解した上でまたフィードバックする、と言っていたのでこの曲に関してはギターパートの制作までしばらく放置しておこうと思います。そして、今はPiece 4を書いています。これが昨日ここに書いた曲なのですが、此方も順調に制作は進んでおり、既に3分に到達しようかというところなのですがまだまだ表現したいことが沢山あって、結局10分とか超えるんじゃないかと多少懸念しています。 今週水曜日には沖縄に飛び、現地での友人の結婚式でヴァイオリンで弾きます。もう寒くなってきたので中之島での路上演奏は出来なくなってしまいました。ですので最近は毎日家で2時間くらい弾いています。しかし、最近になって思うことがあります。どうして先生についてヴァイオリンを習っていた頃は自分が成長していくことを全く感じなかったのに、自分で弾きながら試行錯誤してやっているとこんなに自分の技術が向上していることを実感するのでしょう。 まあ、それを言ってしまえば作曲なんて、自分の技術が向上しているなんて実感したことは一度もありません。強いて言えば、Sandström先生について学んだ約3年間に関しては、最初と最後で思い返すと自分の作曲能力が上がったと感じたことはあります。でも、そもそも作曲技術なんて自分の哲学や視野の広さ、人生経験なんかに大きく左右されるわけで、先生はそれらを僕に与えてくれたということなのでしょう。 どうしてヴァイオリンに関しては他人に教えられることから僕はあまり多くのことを学ぶことが出来なかったのでしょう。それがなんだか不思議なのです。この楽器は自分の状態を顕著に音として具現化してしまう特性があると、初めて手に持ったときから感じていました。だからでしょうか、ベートーヴェンの言い回しはこういう風だからこうやって弾け、と教えられてその通りに演奏しようと努力して練習して発表することに全く納得できていなかった僕の内面が、そういう環境では楽器と上手くシンクロすることが出来なかったのかもしれません。 楽器の演奏は、その楽器を使って何でも出来るようになることがゴールではないと僕は個人的に考えています。どんなに難しい曲でもどんなに大きな曲でも弾きこなす技術を手に入れること以前に、自分自身を4本の弦と弓を伝って表現することが出来なければ、いくら難しい曲のすべての音を完璧に捉えたとしても、そんなものは自分自身を心のない機械にしてしまっているだけで実に不毛だと僕は思うのです。 僕の友人にも誰かに"こういう風に演奏して"と依頼されてその通りに演奏する、という"ヘルプ"の演奏家が性に合っていると言って実際にそういう活動だけをしている人間もいます。これは個人個人の問題です。僕は少なくとも、誰かに教えて貰って、ではなくて自分の力で一から試行錯誤しながら自分にしか作れないものを作るのが性に合っています。ヴァイオリンに関しては最近それが自分でも感覚出来るようになってきた、とそれだけのことなのでしょう。
by Alfred_61
| 2011-11-13 23:55
| 音の考察
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