そういえば昔、日本でお世話になった先生と「怒られて伸びる生徒なんてほとんどいない、褒めないと生徒は伸びない」という話をしたことがありました。実際、先生からはソルフェージュは出来ない、アンサンブル経験も少ない、鍵盤はまともに弾けない、楽譜は2音以上同時に読むことが出来ない、機能和声の初歩さえ知らない、楽譜を書き慣れていない、基本的な用語さえ知らない、そんな何も出来なかった僕をどちらかというと褒める形でアメリカの音楽学校へ進学出来るまで育ててくれました。 最初は先生からそうやって褒められて教育されましたが、それ以降アメリカに行ってからの音楽家としての僕は周囲からとにかく叩かれて、それにも負けない自分を持つことで今の自分のレベルまで来ることになりました。「そもそもここに何をしに来たの?」「やりたくないならやめれば?」「それじゃあここではやっていけないよ」「どうせ将来なんてないんだから」「初心者どころか何も出来ないじゃない」「こんなことも分からないの?論外だね」どれもこれも英語でドストレートに僕が言われてきた言葉です。ただでさえ周りは20歳前後の年齢で学校や音楽界から評価されている生徒の集まる学校でした。その中で僕はスタートラインにさえ立っていない状況で既に20代後半で、同い年の人には既に大学教授になっている人さえいました。 僕はとにかく沢山の音楽を聴きあさりました。卒業当時には教授から"人間音楽図書館"と呼ばれたこともありました。それはユダヤ系やオセアニア系など各種民族音楽も、中世どころか古代の音楽も、そして近代の世界各地の音楽も含んでいました。色々な音楽を聴き、社会から否定され続ける自分の音楽や人間性の輪郭がやっと分かり始め、そこから"ダメな"自分を人としてのレベルから磨き上げることに人生をかけ努力しました。結果として二度と元には戻らない身体の壊し方をし、死線を見てそこに憧れるくらい疲れ切り、極限まで行きました。 卒業という一区切りがあって、両親の薦めもあり療養目的で日本に帰国し、社会に出て働くようになりましたが、そこでも僕に対する社会の対応は同じでした。30歳も間近にして「社会人としては大卒新入社員レベル」「君はこんな所にいるべきではない」「色々出来るのは良いけどお金にならない無駄な才能ばかりだね」「上司と部下、社会の構造さえ分かっていない」「日本では君の考えは通用しないからアメリカに戻れば?」・・・結局アメリカでも日本でも同じなんだなと思いながら僕はそれぞれの言葉に対し「はい!そうですね!頑張ります!」と返してきました。 僕は否定されることに慣れているので、結局は"出来ない今"から、社会が想像しているよりも遙かに速いスピードで"出来る今"へと変化していきました。言われて叩かれて潰れるような精神力なら、もうとっくに潰れている、僕は自分の人生を振り返ってそう思います。 僕は他人を無意識に怒らせたことはあっても僕自身が怒ることはありません。他人から裏切られたり騙されたことはあっても他人を裏切ったことも騙したこともありません。僕の家族が精神的にも限界にあっても、妻の心が折れても、僕だけは絶対に心が折れることはありませんでした。僕にとっては人の好意も敵意も自分を成長させる為の道具でしかなく、そこにはチャンスしかないのだと信じて今まで生きてきました。 7年ぶり位に、僕を最初に褒めて教育してくれた先生に会いました。「知らない間に何でも出来るようになっていた」と、やっぱり先生だけは僕のことを褒めてくれました。それがなんだか懐かしくて、ちょっとこそばゆい感じでしたが、同時にそこが一般的に多くの人がいる光の当たる場所であって、もう今僕がいる場所からはその場所が眩しくて遠くて仕方がないとも感じました。それ以来、先生に会いに行くことはありませんでした。 ホワイトカラーの社会で最後に僕が言われた言葉がとても印象的でした。「本当に、君はどんなにけなされても怒られても否定されても折れないで向かってくるね。」それが褒め言葉だったかどうかは分かりません。普通に考えれば呆れているだけだったのでしょう。僕には音楽があります。だからどんな状況でも前を向いて生きていけます。ただ一つだけ思うのは、自分の子供には絶対に自分と同じ道は歩かせたくない、ということです。日の当たる場所で笑っていられる幸せは、僕がいるこちら側の場所には絶対にないのですから。
by Alfred_61
| 2012-10-26 23:55
| 日記
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