最初から損失することを怖がっていると自分がやりたいと思うことが全然出来なくなったりします。そういう風に生きれば生きるほど人生は面白くなくなり、企業レベルでそういうことすれば社会全体や文化そのものがどんどんつまらなくなっていくのです。じゃあ損失したら責任は誰が取るんだ、と聞くだけで吹き出してしまいそうなJapaneseな常套句が各所から出そうですが。 損失しても、それが次へ繋がる為には実際にやらないと何にもならないのです。実行しないことは確かに今という状況を大きく損なうことにはなりませんが、同時に色々なことに派生して未来が色鮮やかに変化していく可能性も絶対にありません。得るということは失うことと表裏一体で、どちらもあってこその面白い人生だと僕は思っています。 僕は今まで知らなかった人と初めて出会うとき、その人との別れを頭に浮かべます。未来に対して絶望的だし、そんなこと考えながらあの時一緒に飲んだのか、とか言われたことはありますが、僕の考え方はあの頃からずっとこんなもんです。出会いがあるということは必ず別れがその先にはあるのですから。別れのない出会いは僕たちが生命である以上絶対にあり得ないのです。 妻や娘に対しても僕は同じように感じてきました。当然ながらいつかは愛する家族とも別れる日が来るわけで、それを考えることに恐怖を感じたり悲しみを感じて目を背けることは、僕の生き方ではありません。僕は絶対に目を背けず、ゆっくりとそこへ向かって歩きます。 勉強することや社会で学ぶことも同じです。自分の技術や知識として得ることは当然多いですが、それと共に自分は結構多くのものを失っています。専門職の技術や知識や経験が多ければ多いほど、年を取ってからすべて白紙に戻して一から勉強し直すことを社会はそう簡単には許してくれません。まあ、だから技術があっても知識があっても特定の人間の前でしかそれを見せない人が世の中に数多くいるのですけどね。僕も生計を立てる為の仕事では絶対にミュージシャンとしてのスキルや知識を見せません。見せる理由がないですからね。それに、そういう行為は波紋を広げ、いずれは摩擦へと発展するのを僕は嫌ほど経験してきました。 でも、失えばその瞬間に手に入るものも沢山あります。失うことは決して無駄なことではなく、それは次へ進むために必要な段階なのだと僕は考えています。僕は別れに対して悲観的な感覚を持っていません。僕は人から絶交されたことは何度もありますが、僕自身はそこでしっかり感じることは深く感じ、そして前を向いて歩き続けます。良く誤解されますが、僕は僕から人と絶交したことは人生に一度もありません。向こうが連絡を取りづらくなるほど怒ったことはありましたが。でも、僕は自分への門戸を閉ざしたことは一度もありません。連絡が来れば当然返事はします。来るもの拒まず、去る者追わず、ですね。相手がそこで去ることを選んだならば、それだけのことです。僕は引き留めることはしません。 まあ、別れは確かに多い人生だったと思います。今どこで何をしているのか、向こうも此方も分からないという当時の"親友"なんて軽く見積もっても20人以上います。でも、きっとアイツなら頑張っているのだろうなと考えると元気が出たり、やる気が湧いたりします。失うことで僕が得ることの一つですね。 しばらく続いた休日も今日で終わり。今回は久しぶりに色々とやりたいことがいくつも出来ました。新たな出会いもいくつかありました。明日から来月後半までは再び二重生活です。何か目に見える大きな成果を手に入れることよりも僕は個人的にこういう失って得ての変化に囲まれて生きるのが非常に楽しくそして充実に感じます。
by Alfred_61
| 2012-11-18 23:55
| 日記
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