音楽には面白い世界がありまして、実は"間違い"が存在しない音楽というものを作ることが出来るのです。何をしてもそれが答えになる世界、それはフリージャズでもなければ機能和声でガチガチに縛られたブルースセッションの世界でもありません。僕は実は結構自分の音楽にこういう"間違いのない世界"をセクション的に盛り込むことを頻繁にします。 これは僕の音楽が"難解だ"と言われる所以の一つなのですが、僕は演奏する人間に対しても"答え"を与えることをしない作曲家としてアメリカ学術音楽界にいました。そう、"間違いがない"ということはつまり完全なる自由がミュージシャンに与えられるわけです。しかし、完全なる自由とはつまり今まで自分が立っていた地面さえも失い、上と下という概念さえ失うことになり、既に言いましたが"間違いがない"ということはそこにはどれだけ探しても絶対的な"答えもない"のです。 さて、じゃあそんな音楽をどうやって演奏するのかというと、そこにはミュージシャン自身が個々に信じる哲学や理想をどれだけ具現化することが出来るかどうかが必要不可欠になってきます。言い換えれば僕の音楽を演奏するのに、方法論なんてものは最早何の役にも立たないゴミ屑になります。ベートーヴェンの演奏法、バッハはこう弾くもの、近代曲だから音符だけしっかりとれれば、そんなアプローチはすべて失敗にしかたどり着きません。 でも、本当は音楽って元々そういうものだったのではないでしょうか?ピアノをまともに習ったことのある人なら必ず経験する、初めてバッハの平均律クラヴィーア曲集を弾いたときのあの感覚、本当はすべての曲に対してあの時すべての人が謙虚に一音一音大事に読み解いて理解して演奏していく感覚を適用するべきなのではないでしょうか。ある程度技術のある人ほど"こういうモノだろう"とタカをくくって曲へ向かうからどれもこれも同じような演奏になり、その曲の持っている個性も、演奏家自身の個性も音楽として具現化することはないのです。 本当の自由とは逆に個人へ対しそのオリジナリティや世界観の強さを試される非常に挑戦的な状況でもあるのです。逆に規制が多ければ多いほどオリジナリティなんてなくても、強い意志などなくてもパズルのように音楽だろうが絵画だろうが作ることは出来ます。方法論に従うのは誰にでも出来ること。でも、本当の自由を前にしてひるまずに自己表現を出来る表現者こそ本物のアーティストだと僕は考えています。だからこそ、僕は自分の曲を偽物では弾けないように作っているのです。すべての演奏家が自己の中でしっかりとかみ砕き感じなければ演奏できない、僕の音楽はそういうものだと今でも各所から言われています。 2013年一発目の挑戦は自分的に大成功に終わりました。ここから派生していくさらなる挑戦に今年いっぱい立ち向かっていきます。元々1ヶ月に1.5曲くらいのペースで書いていたのですから、全然いけます。ちなみに、その当時の僕の曲は1曲あたり平均15分ありました。今はどちらかというと簡潔に自分の言いたいことを言う曲が多いので、曲数としては倍くらいのペースでも全然いけそうです。今年は去年一昨年の分も書きまくりますよ。
by Alfred_61
| 2013-01-27 23:55
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