新曲のスケッチがもう五線譜に8枚くらい溜まっているのですが、いい加減にまとめろと自分でもホントに思います。しかしまあ、ここ最近自分の人生について色々考えるところがあって、しかもちょいと生計を立てるための仕事が立て込んでいてなかなか作曲に集中する時間をとれていません。タイムマネジメントはやろうと思えばやれるのですが、まだ曲に向かう時ではないと心のどこかで感じているのだと思います。 1月にとあるイベントへゲストとして呼んでいただいて、そこで自分の作曲理念や哲学をお話ししたところ、多くの人々から強い支持を受けました。自分としてはあの程度喋っただけでそこまで賛同して理解して貰える人が沢山いるとは思っていませんでした。確かに僕は表舞台に出る努力を何年も自発的に否定していて、今年になってからの活動では色々浦島太郎な感覚を感じています。 先日とある友人から「貴方の音楽をもっと多くの人に知って欲しいと感じる」という大変ありがたい言葉を貰いました。どんなに努力しても社会へ発表していく機会も仲間も手に入らなかった数年前、僕は本当にこんな世界なら自分が自分の為に納得するモノをただ作り続けて死んでいければそれで良いと信じていました。自分の利益云々は全くもってどうでも良いのですが、世の中に僕の音楽を望み喜んでくれる人がいることを、何故か今年に入って感じさせられることが多くなっています。 「自分が英語を喋れて良かったと思ったのはブルースを即興でセッションしたときに英語歌詞で即興で歌えることだけ」と先日妻に話したら、信じられないと呆れられました。いくらネイティヴ達が絶賛するほど高い英語能力を持っていても、僕の英語能力は少なくとも日本社会ではありがたがられるどころか問題視しかされませんでした。教師をしようとしても能力が高すぎるから高給取りになるんじゃないかと敬遠されたり、組織に属してみれば新顔の僕が経歴の高い組織の人間の誰よりも英語が出来た為に僕より英語の出来ない人間と入れ替えられたりとか、そんな経験しかありません。社会がそうなら、何故僕が自分の能力を社会に還元しようとなんて思えるでしょうか。僕は今では誰にも英語は教えませんし、個人的な依頼以外では通訳も翻訳もしません。これを宝の持ち腐れなんて言う輩が世の中にいたら殴ってやりたいくらいなので。 社会に対して正当な評価を求める、なんてゴミ屑みたいな行為は僕には全くもって性に合いません。僕は自分の評価基準で最高のモノを常に求め、社会へ提供しているつもりです。それで低評価を受けたり、今までの評価から下げられたりするのなら、それはそういうものだと僕の中で納得だけ出来れば、あとは自分の能力をそんな社会に向けて提供すること自体を止めるだけです。必要とされないのに能力を発揮しても全くもって詮無きこと。必要とされる場所が他にあるのならどんな形でもそこへ行って能力を発揮するだけです。 明日も引き続き曲のスケッチを続けます。結局何枚溜まるのか分かりませんが、書きたいだけ書いて納得いったら曲に仕上げるつもりです。僕が曲を書くのは正当な評価を受けるためでも、人々に受け入れて欲しいからでもありません。僕はただ自分の信じる理想を形にしているだけです。ジャンルや表現方法は多様でも、その根底にある音楽はいつも同じです。作品第一番となり得る最初の曲を書いた頃から10年以上経った今でも僕の音楽は変わらずあります。2013年はかなり沢山の作品を発表できる年になりそうです。タイミングは分かりませんが、出すときは一気に大量に発表すると思います。このブログでそれらを告知することはないでしょうが。
by Alfred_61
| 2013-03-20 23:55
| 日記
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