多方面と会話していてどうしても自分との間に隔たりを感じるのが、何かを否定しているかどうか、です。気に入らないことや個人の信条と差異のあることを否定する、という行動自体をしない人なんてまあそれこそ聖人みたいなもので世の中にはほとんどいないのですが、そもそういう観点から創作をして本当に人を癒せる芸術が作れるとは僕は思いません。 製作を始めて、これは間違っている、と書いた音を消してはまた考えて音を書く、そういう発想は僕の中にはありません。自分にとって正しい音ではないと感じて消すことはあっても、それが間違っていると感じたことは一度もありませんし、そんなマイナス思考で作曲を何十年も続けることは出来ないと僕は思っています。 社会として文化としてそれはおかしい、と我々大河の底にある小石風情がほざいたところで川の流れが止まることは絶対にありません。川の流れを止められるほどの大石ならば好きなだけ言えば良いと思いますが。世界の何もかもが正しく報われることなんてありませんし、そも報われるためにする努力なんて薄っぺらい物です。そういう風にして作られた曲もまた薄っぺらい物です。 自分を否定することも、他人を否定することも、やり始めたら人生も創作もどんどん行き場のない袋小路に向かっていきます。この世界には間違いなんてものは本当はもともと存在せず、その価値観そのものが人間社会の作り出した蜃気楼なのだと僕は考えています。少なくとも創作の世界ではそうであると僕は確信しています。 しかしながら、自分の音楽世界に否定を持ちこむ人間がいるならば、僕は断固としてその人との関わりを否定します。そして、大学卒業後それを続けていたら知らない間に一人になっていたわけです。まあ、なるべくしてこうなっただけなのです。そして、それが僕のあるべき姿であり、いるべき場所なのだと強く実感しています。 他人とのコラボというのはそれは胸踊るものですが、心の奥で僕は自分の音楽に悪意を持ち込まれることを嫌っています。これから先の人生で一体何曲書くことが出来るのかを考えていると、まさかそんなくだらないものに時間を費やしたくはないのです。コラボの話を頂くたびに、僕は結局その部分で納得できずに断ることが多いのです。 僕にとって音楽は宗教のようなものであり、神であります。それは生きることであり、喜びであり、そして死なのです。能力があるのだから表舞台に出ろと言う声は僕にとって悪魔の囁きでしかなく、自分がありのままの自分であれる場面でしか結局は曲を書くことはしないのです。なぜなら僕は音楽の世界で何かを否定することをしたくないからです。僕の音世界はそこまで潔癖を追求した、この世とはかけ離れた異世界なのです。それを理解してもらえる唯一の演奏家にのみ、今は曲を書くようにしています。彼と僕の間に否定は存在しないからです。
by Alfred_61
| 2014-08-20 13:56
| 音の考察
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