パリでの一ヶ月で実に50人ほどの作曲家、ヴァイオリニスト、ピアニストの卵たちと出会いました。それぞれがそれぞれの課題や才能を持っていて、色々考えさせられました。その中でも特に気になったことを一つ書きたいと思います。それは、世の中には人に気に入られる人、気に入られない人というのがその才能や技術に関係なく存在するということです。 二人の「気に入られる」例を見ることが出来ました。一人はジュリアード音楽院の学生で、僕より3歳ほど若い青年でした。彼は先生方の望むことをほとんど完璧に出来、文句も言わず、綺麗に型にはまった音楽を書きます。プログラムの先生方はまるで生徒の鏡だと言わんばかりに彼を褒め、彼の曲を僕たちに初見させたり演奏させたりしました。 しかし実際の人間性を見てみると、先生方に気に入られる性格を自覚していない・・・つまりきっと彼はそれがあるべき姿なんだと両親や教師から教えられてきたのでしょう。一度全員でラヴェルが死ぬ前の10年ほどを過ごした町に行ったのですが、そこで感動した僕たち作曲グループが彼に尋ねました。「どうだった?凄かったよなあ!」すると彼は、「ああ、最高だった!先生方とランチもしたし、音楽のことも話せたし!」「・・・は?」 ・・・ラヴェルの家は?お前は何をしに行ったんだ?先生と交流してコネを作るためか?結局、こういう細かいことが幾つも続き、彼は30人以上いた作曲連中から総好かんを食らってしまいました。別に悪いヤツではないのですが、どこかずれているんですね。しかもそれに気付いていない。彼はそういう意味では本当の天才ではなく、世間に天才として育てられたただの子供でした。 もう一人はニューヨークシティーにあるマネス音楽院から来ていた日本人のピアニストでした。彼女の英語は相当訛っていて、会話は出来るけど相手に異国人と話している雰囲気を与えてしまう物なのですが、それが人に受けるんですねえ。演奏は正直に言ってまだまだ改善したりするところがありますが、音そのものは確かに何かを感じさせる物でした。音そのものの才能は素晴らしいのですが、技術に関してははっきり言って中の下くらいでした。 きっと彼女の場合、先生方は「これは育てたら良い物になるぞ」と思わせる何かを持っているのでしょう。彼女のピアノの先生二人と、彼女のいないときに食事をさせて貰いましたが、そういう感触を僕は感じました。 ジュリアードのヤツは同じ作曲ということもあり、はっきり言って僕も気に入らないタイプでしたが、ピアニストは正直に言って、技術が追いついていないなら追いつかせるような曲を書いてあげようと思わされました。取りあえず8月は溜まっている書きかけの曲を全部仕上げ、その後彼女のためにピアノ組曲を書こうと思っています。 最後に余談ですが、僕は対位法や譜読みの先生方からかなり邪険に扱われました。やっぱり僕は「人に受けない」タイプなのでしょうか。でも、一番幸せに感じたのは、そういう先生方でも僕の曲の演奏を聴かれたあとは手のひらを返したように気に入ってくれたことです。全く、僕の性格は損ですねえ。世渡りの上では。
by Alfred_61
| 2005-08-02 21:15
| 日記
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