人生において何に価値があると感じるかは基本的には個人の相対的な感覚ですが、社会的な価値観というのは時の流れに応じて変化していく流動的なものだと思います。例えば、20年前は"社会的な成功"として感覚されていた、各々ビジネスや活動で金銭的に大きな利益を得ること、というのは僕の感覚では既に今の時代はステータスとして意味を失い始めていると思います。 音楽の話ならば、CDがミリオンセラーになる、TVへの露出が増えて所謂"メジャー"で活躍することが昔の"社会的成功"でしたが、もうこれは今は昔の話です。当時は活躍する人を見て、その人がインディーズから頑張って成功をつかみ取った話を聞いて、自分もそうなりたいと多くの人が感じて社会や文化が活性化しました。しかし、現代ではそうではなくて、社会的な成功を手にした人は「なぜお前だけ成功しているんだ?おかしいじゃないか」と嫉む人が社会に多く発生し、そもそもの趣旨を離れて私生活がどうとか関係者が脱税しているかもしれないとかとにかくその人の成功を潰す、ということを多くの人が目指すようになりました。 まあ、そういう時代だ、というだけなのでそれに対してそれが良いとか悪いとか言及するつもりは全くなく、では"成功"という価値観はどちらへ向いているのか、向けばいいのか、ということがこの記事のテーマです。結論から言うと、僕は金銭的成功ではなくて本質的成功へと人の意識はシフトしていくべきだと思います。 僕は音楽家なので音楽のことを考えますが、そも音楽の"成功"とは何なのでしょうか?社会の大多数がいまだに口にする"音楽で生計を立てること"なのでしょうか?もうこんなことを目標に音楽をしている音楽家は世の中にはあんまりいないと僕は思います。素晴らしい目標だと思いますが、今の時代でそれを手に入れてしまうとその先には上に書いた社会から足を引っ張られて下手をすると犯罪者か非人のような扱いを受けるという未来が待っています。 人によって、なぜ音楽をするか、音楽をする目的というものは違うはずです。フィリピンのジャングルに一人隠れ住んで終戦を知らずに何十年も戦っていた日本兵の方は、その間寂しいときに覚えていた歌謡曲を口ずさんでいたそうです。極限の例ですが、自分のための自分へ向けた歌、それがその人の音楽の目的でした。そして、そこには当然ながら上手い下手、キーが合っているかずれているか、歌詞が合っているか間違っているか、そんな価値観は介入することは出来ないのです。音楽とはそんなくだらない杓子定規で測れるようなものではありません。 だから、その音楽の価値は、金銭的にどれだけ売れているか、という杓子定規でも測れないのです。つまり、金銭的成功とは必ずしも音楽的成功とはイコールではないのです。(もちろんイコールであるケースも存在します。)では、今自分がやっている音楽の目的はなんでしょうか? ここでは書きませんが、僕には僕の目的があります。その目的は、達成すると他人に嫉まれるような類ではありません。僕の演奏会に足を運んでくださる方々には、僕の価値観で最高のものを提供しています。ただし、それは上記のとおり、今まで広く認識されていた音楽の"社会的な成功"とは全く別のものです。もし、僕の演奏会に"社会的な成功"を目指している姿を期待して来られる方は、恐らくその次の演奏会にはいらっしゃらないでしょう。既に価値観のシフトは社会全体で始まっているのです。僕の演奏会は恐らく中でも極端な方だとは思いますが、"なぜ音楽家は音楽をするのか"という疑問に今までの固定観念通りにしか答えられない、それ以外に答えがある可能性も想像できないという人には、きっと僕の演奏会はつまらないと思います。でも、音楽でこんなこともできるんだ、と感じることができる人には、今のところ喜んでいただいており、心より感謝です。
by Alfred_61
| 2015-06-12 23:30
| 日記
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