芸術に熱中しているときって、結構世の中の細かいことが全部氷山の隠れている部分に沈んでしまって、とても自由に物事を見ることが出来ます。きっと脳を調べたらそういうときはアドレナリンとかなんやらかんやらと出ているのでしょうが、僕ら芸術家は出来るだけその時間を長く持てるように訓練したり勉強したりするわけです。 そりゃあ、そういう状況が一日中続くならそれが最高だと思います。でも、社会はそれを許してはくれません。大抵自分の欲求と社会の狭間でもがくのが僕らの関の山です。まあ、それでも環境は日々変化し、自分自身も日々変化しています。 来月の初旬にインディアナ州の州都インディアナポリスで僕の書いたギターの為のGuitar Suiteが初演されます。まあ、車で片道二時間ほどの距離(京都大阪間くらいか)ということもあり、僕はゲスト作曲家として呼ばれ、曲についての短い講義もすることになりました。こういうことは、望んで起こることではなく、作曲に熱中している間にどこかで勝手に起こることです。今回の意外な待遇には僕も少し驚いています。 また、周りの演奏家達からもこういう曲が欲しいから、学校の外で演奏するために書いてくれという注文を幾つか受けています。でも、そういう恵まれた状況のことは、出来れば曲を書くときには忘れていたいものです。自分が偉くなっているとか、成功してきているとか考えると出てくる音が変わってしまうので。 古い時代、例えば中世の音楽家達は、きっとしがらみの少ない状況でやりたいようにやっていたのでしょう。最近ペロタン(Perotin)という1238年頃に死んだフランスの作曲家の曲を沢山聴いています。自分が作曲家だからだと思うのですが、曲を聴いていると自由に書いている人って、分かるんですね。これが。クラッシックではペロタン、ヴィクトリア、ヴィヴァルディ、モーツァルトなどがそういう部類に入りますが、こいつらは毎日ただ音楽に没頭して社会の細かい事情なんてどうでも良かったのでしょうね。 今書いているヴァイオリンとパイプオルガンの曲も、もう少しで何かががっちりはまるのですが、もう少し自分を熱中させてくだらないことを考えないようにしないといけないなと自律の必要性を感じます。
by Alfred_61
| 2005-09-19 12:31
| 日記
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