僕たち人間の心に一番大切なのは、日常というモノだと思います。日常には楽しいことや悲しいこと、嫌なことや辛いこと、小さな感情がいくつもあり、その一つ一つに僕たちは心を動かされて生きています。でも、そういう小さな一つ一つに終わりがあって、また次の感情が起きて、そうやって日常が形成されるのです。 そして、そんな小さな感情がちりばめられた日常にも、必ず終わりが訪れます。そして終わりの時に、僕たちはそれまでに起きたすべてのことをうれしく思うことが出来るから、涙が出るのだと思います。誰かに心配して貰うべき涙ではなく、それはそれまでの人生を喜ぶ、心からあふれる涙だと僕は思います。 残り少なくなった、僕の部屋にある梅干しを作ってくれた僕の伯母さんが去年亡くなりました。葬式に参列した僕の母は、泣き崩れ、出棺の時間になっても棺から離れようとしない伯父さんを見るのが本当に辛かったと言います。梅干しを食べる度にそういうことを色々思い出します。 初めて出会った時から、けんかをしたり、苦労をしたり、笑いあったり、そうやってずっと日常を共有してきた配偶者の死は、それまで自分たちが築いてきた日常の終わりを意味します。それはきっと、乗り越えるとか、そういうモノではないのではないでしょうか。いつかはその時が来ます。誰しも心の奥では分かっていることなのです。だからといって冷たくなってしまうことは、それまでの日常が喜びでも悲しみでも、様々なよろこびに満ちていたからこそ、人間には決して出来ないことだと思います。 普段、何気なく過ごしている今という時間は、いつかは日常という意味を持ち、そしていつか終わります。僕はいざその時が来ても悲しんでくれる相手もありませんが、今まで沢山の音楽を書いてきたことは心から感謝出来ると思います。一曲一曲は僕の日常でしかありませんが、それらに本当に感謝出来るのは、それが終わる時だと思います。僕が今書いている依頼曲、Duo Suite(二重奏組曲)は、最終楽章にヴァイオリンが声部を取るヴォカリーズを予定しています。そしてそこに僕が込めたい気持ちは、日常を生きる自分なりの、日常への感謝です。
by Alfred_61
| 2006-01-22 08:30
| 日記
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