先日久しぶりに話をした友達に言われて、恐らく人生で二曲目に書いたであろう昔の曲を引っ張り出してきて録音を聴いてみました。題名は変奏曲《一本の弦》(は、恥ずかしい・・・)というもので、録音は僕が弓もケースもセットで4万円だったスズキのヴァイオリンを弾いていて、ピアノ伴奏は当時作曲や演奏法を習っていたオルガニストの先生。簡易録音ですし、何よりヴァイオリン下手くそ過ぎるのですが、これがどうも最近気分が落ち込んでいる原因っぽいのです。 コード進行はまるで定番中の定番で、変奏とはいっても一回しか変奏部がなく、よく分からない曲です。でも、どうしたことでしょう、その古めかしいバリバリ言う録音にあったのは、未来への希望にキラキラ輝く純粋な当時の僕。そして主題の提示部から変奏部へ入る部分にある、とてつもなく心を動かされるリズムに表現される圧倒的な可能性。もし僕が審査員で、この曲が応募されてきたら個人的にコンタクトを取って教えてあげたいと思うほど、録音の僕は未熟で、未完成で、でも喜びに心を震えさせながら精一杯音楽を歌っているのです。 ・・・いつだったのでしょうか。僕がそういう純粋さを見失ってしまったのは。そしてそれが、久しぶりに話した友達に言われたことでした。彼女はこう言いました。「どうしてそんなに苦しいことを自分の中に溜め込むの?どうして自分一人で何もかも解決しようとするの?最近の貴方の曲が孤独で寂しいこと、気づいてる?もっと心を開いて、あの頃のようにキラキラ希望にあふれる曲を、また書いてよ。」 僕は道を間違えたのでしょうか?今からがんばっても、あの頃の純粋さを取り戻せるのでしょうか?一度大人になった人が子供に戻れないように、もしかしたら僕にはもう一生あの頃のように瑞々しく透き通った喜びを歌うことは出来ないのかもしれません。望んでも夢は少しも近くならず、足掻いて苦しんでいたはずのあの頃は、実は音楽的に最も純粋で、綺麗だったのです。"来週"が楽しみで仕方がなかったあの頃、"来年"をワクワク待つように生きていた毎日、でも今日の今という時間を必死に生きていた。あの頃、満たされることはあまりなかったけれど、生きることが喜びそのものでした。 比べて、今の僕はなんて荒んでしまったのでしょう。今日には苦しみしかなく、辛い気持ちと動かなくなっていく体を無理矢理動かして分刻みのスケジュールを何とかこなしていく。明日はその繰り返しが待っていると思うだけで、寝床に入っても心は一時も安まらず、夢でも四苦八苦する自分を見る。ましてや来週なんて恐怖以外の何物でもありません。それまでに自分はやるべきことをすべて終えれているのだろうか・・・不安が余計にスケジュールをタイトにしていき、気がつくと食事を抜いたり睡眠を抜いたりしている自分がいる。時間になれば手が震えてきたり、無意味に空が落ちてくるような不安を感じたりする。いつから僕はこんな風になってしまったのでしょうか。 どうすれば純粋に生きることを喜べたあの頃に戻れるのでしょうか。こういう風になることを大人になるというのなら、ピーターパンのように一生子供のままいたかった。そして彼女の言葉にインスピレーションを受けて書いている"海からの手紙"という歌は、このまま進めて本当にあの頃の気持ちを反映させることが出来るのでしょうか。でも日常のスケジュールはそれに全力を注ぐことは許してくれません。限られた時間で一気にそれだけのことをしなければならない・・・そしてまたそこに不安を感じ、希望が持てない・・・悪循環もいいところです。これをスランプと言うのでしょうか・・・。
by Alfred_61
| 2006-03-24 11:44
| 日記
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