本当に幸せな瞬間は、その渦中にいるときには100%感謝し、感じることが出来ないと思います。幸福という時間が本当に輝くのは、それがとっくの昔に終わってしまった今という時間からそれを思い出す時だと思います。それが取り戻したくてももう無理だからこそ、何気ない日々に満たされていた幸福がその意味を持つのだと僕は思います。 自分のエゴや思いこみが結果的にその幸福を終わらせたと言う場合は、そりゃあ多少なりと自己嫌悪にも陥るでしょう。でも、なぜか僕には辛いことよりもあの頃気づかず過ごしていた、もはや手の届かない幸福が放つ信じられないくらい綺麗な光に心を奪われてしまいます。人の心は相対的なものです。失うまで幸福を本当に理解できないのは、もしかしたら人の性なのかもしれません。 人間とは思い出と共に生きる生物だと思います。自分がやってきた良いことも、楽しかったことも、辛かったことも悲しかったことも、いつかそれらが過ぎた後に思い起こして、そこに来て初めて生きるってどういうことなのかを理解するような気がします。それは、例えばこっそり授業を抜け出して校則違反の外食をしにいったことだったり、もしくはいつか何気なく森林公園を歩いていたときに見た大切な人の笑顔だったりするのです。 "再現部"という、昔から当たり前のように使われて来た音楽の形式があります。それはもしかしたら、無意識のうちに人々が過去にあった幸せをもう一度手にしたくて始めたことなのかもしれません。しかし例え音楽においても、残念ながら"提示部"をそのまま取り戻すことは出来ないのです。"提示部"の後には"展開部"があり、そこを通ることによっていくら全く同じ音符を繰り返しても、音楽はもはや同じにはならないからです。
by Alfred_61
| 2006-04-10 02:45
| 日記
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