もう何年にもなりますが、僕はずっと"何でもない日"に憧れを持っています。二週間前にニューヨーク行きをキャンセルしてから、下降した体調はまだまだ本調子にはほど遠く、一日の大半は極度の倦怠感と眠気の為に何も出来ずにいます。しかもブルーミントン市は連日の雨で気温が一気に低下し、何といま摂氏10度を切っています。体感気温は何と7℃。半月前には半袖で外に出れたのに、今はコートがいります。普通にしていても体調を崩すようなこの天気もあり、どうにも調子が上がりません。 やはり一番深刻なのは胃腸の機能障害だと思います。まだ食べられるだけマシですが、もちろん一食に食べられる量は少なく、出来るだけ頻繁にバナナなどをつまむようにしています。普段僕はあまり甘い物を口にしないのですが、昨日から意図的に糖分を摂るようにしていますが、効果が表れるまでしばらくかかるでしょう。 ここ最近は歌を聴くということ位が僕の娯楽です。体調が良くないと、やはりまず人と話すことや、もっと言えば純粋に誰かの声を聴くということが恋しくなるものです。まあ、恋しくなるだけで、人と話をすれば何が良くなるわけでもないですし、いくら人と話をしている最中でも気分が悪くなればそれは雑音にしか聞こえなくなるのですが。 でも、人の声というのはそれだけである意味音楽なのかもしれないと思うわけです。電子音楽などでも、いくら音の波形を変えたりしても人の声を機械的に鳴らすことは不可能で、ある意味声とは究極の楽器であるようにも思えます。ちなみに、当たり前ですが、ギターでもピアノでもヴァイオリンでもオスシレーターでその音を真似ることは出来ます。でも声だけは真似てもそれっぽく聞こえないんですね。不思議に。 きっとそれは、音楽の根本的理念と繋がっていると思います。音楽とは耳で聞くと同時に人の精神や心といった部分に作用する特殊な音のことで、つまり誰かと話をしていてホッとするとか、ムカムカするとか、眠くなるとか、それは相手の声が音楽として響いているからなのです。まあ、言い換えれば心に響かない音は音楽ではないと、そうなります。 「大丈夫?側にいてあげようか?」と言われたとします。それは音という媒体を通して、言い手の気持ちが聞き手に伝わり、聞き手はホッと安心したり感謝したりするのです。これが音楽でなくてなんでしょう。音楽とは人同士の心と心のコミュニケーションです。ただ音を書いて弾いてハイ終わりでは音楽ではありません。 友達の輪の中にいないと安心できない人、留学に来たらすぐに恋人を見つけ、別れてもすぐに他の人とくっつく人、授業が一つ終わるごとに携帯で誰かに電話をかける人、それはみんな人の声という音楽を欲しているからなのではないかと僕は思います。側にいて、心を分けてくれる、そういう存在が身近にいることは、辛いことを忘れて日々を前向きに生きるために必要なことなのかもしれません。逃げてるだけだと強がるのは易いですが、いざ本当に人の声という音楽の届かない環境に自分をおいてみると、誰でもすぐに根をあげます。 テレビを見たりラジオを聴くのもそういう理由なんですね。そういう物がなかった時代はみんな他の方法で心を癒していたのでしょう。そんな時代に音楽が発展したのは当たり前なのかもしれません。同時に現代の音楽が腐っていってるのも、当たり前なのかもしれません。
by Alfred_61
| 2006-05-14 07:22
| 日記
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