特別な言葉には力があります。力というか、魂というか、何とも表現しがたいモノですが、何かがあります。聖書にはそれが沢山載っています。コラーンにも沢山載っています。日本書紀にも古事記にも沢山載っています。僕らが普段使う教科書にも載っています。具体例では、キリスト教式結婚式の時に誓う言葉の最後にある、"Unitl death parts us"(死が二人を分かつまで)なんて、とんでもなく強い力を持っていると僕は思います。けれども、それは実際自分が口にしたり目にしたりしているときには、力を持たないのかもしれません。その言葉を知り、使用したあと、いつか時が来てその本当の力を知るのが人間です。 音楽にも、そういう曲は沢山あります。昔聴いても何の感動もなかった曲なのに、今聴くと涙が溢れてたまらないということは往々にしてあるのです。けれども、そういう言葉も音楽も、人によれば"不幸"だと言われるかもしれません。なぜなら、力ある言葉であっても音楽であっても、それはすぐに人々に理解されて賞賛されることはないのですから。そういうモノに限って、ずっとずっと後になってから、栄光を得るのです。 けれども、本当はそれで良いのです。生あるうちに栄光を手に入れてしまえば、実はその言葉も音楽も、本当の力をなくしてしまうのです。金や名声というモノがその芸術の存在にとって完全に無意味になってから、それから認められなくては意味がないのです。それぞれの人生に、色々なことが起こり、色々な状況に陥り、その特別な時に特別な状況でその言葉や音楽を聴き読みすることによって、何かがガチリとかみ合ってとうとう人はその本当の力を感じるのです。それは芸術と自分、一対一の場面でしか起こりえないことで、大勢の人の中にいては感じることは絶対に出来ないことです。だから、本当の芸術とはすぐに社会に理解されるはずがないのです。 欺瞞に聞こえるかもしれません。けれども、僕は自分の音楽をそういう高みへと持ち上げようとしています。いや、すでにいくつかの作品は、僕の世界を飛び越えて、僕が死んで何百年も経ってから本当の価値が理解されるものだと、心のどこかで信じています。それは、博識と俗世間の枠を飛び越え、人類に共通に響く本当の音楽であると、僕は信じています。自分が今もしがない作曲家の卵であるのは、そうであるべきだからだと、そう理解しています。 結局僕は芸術家です。起業家でもなければアイドルでもありません。今の成功が欲しいワケではありません。どうせ独り身ですし、どうしても長生きしなければいけない理由もありません。今は、ただ人のため、祖国のため、社会のために出来ることを精一杯するだけです。それがどういう結果をもたらすかは、僕にとってはどうでも良いことで、僕はただ自分のするべきことをするだけです。
by Alfred_61
| 2006-07-01 03:55
| 日記
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