僕にとって作曲をすることは生きることと同意義だと何日か前の記事に書きました。『オルガン組曲』を完成させてから約3日ほど、全く曲を書かない日々を過ごしています。それは言い換えれば生きていても生きていないような、そんな空虚な時間なのです。 曲を書いていなければ、明らかに思考が悪循環していくのが分かります。物事にはすべて終わりがあるということを、やはりというか一番強く考えます。それは酷く言えば、両親が必ず自分より先に死ぬとか、いつか自分も老衰で食べたいものも食べられなくなるとか、そんな考える必要の全くないことばかりです。(だから心療内科にかかっているのですが。)曲を書き続ければ躰が悲鳴を上げ、曲を書くのをやめれば今度は精神が悲鳴を上げる・・・とどちらにも行けない状態です。 書きたい曲が無いわけではありません。書かなくてはいけない曲も2つほどあります。でも『オルガン組曲』が長い曲だったせいもあり、どうもここ数日は放心しています。特に件の曲の最終楽章・・・あれはちょっと気持ちを込めすぎたように感じます。この曲は恐らく11月中旬に予定されることになる僕の卒業演奏会で、恐らく僕のオルガンの先生Larry Smith氏に演奏して貰うことになるでしょう。その時にお金を出して高品質の録音も録るつもりです。何せ演奏家が最高ですから、チャンスは逃さないようにしないと。話が逸れましたが、やっぱりこれだけ大きい(20分を超える)曲で、しかも自分の現在の感情を嫌と言うほど詰め込んだ曲を書いたすぐ後というのは、やっぱりしばらく自分というモノを見失ってしまいます。いや、曲を書くことに"自分"を使ってしまったと言うべきでしょうか。 今のところ、次に始めなければいけないのは、まず仲間と自分自身の為に書く、エレキベースとドラムセットの為の曲、そして僕の曲をニューヨークで初演してくれた友人へのピアノソロの為の幻想曲です。かなり灰汁が抜けてきた自分の音楽を、さらに磨いて、この二つの曲は聴いている人に何も意識させないことを目標に考えています。どちらも10分以内の(僕にとっては)短い曲になる予定なので、気持ちさえ整えばささっと書いてしまえると思います。 でも、今自分を敢えて生きていない時間においていることは、やはりこの数年で酷使しすぎた躰を休めるという意味を持っているのです。別に何週間もボケッとするワケではありませんし、それはやろうとしても勝手に頭で曲を構想し始める自分をそんなに長期間自制することはできないでしょう。でも、あと数日くらいはこんな感じで、少し心と躰を休めて次の二曲に備えようと思います。こういう時間が意識的に取れるようになったのは、ある意味人として成長したと言えるかもしれません。一度感情をマイナスに向けることも、広い意味で言えば大きな意味があることだと、今なら分かるからです。
by Alfred_61
| 2006-08-01 01:12
| 日記
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