どうしても今日は色々なことがあったのでもう少し書きたいと思います。教科書を買うだけでニューヨークまでの旅行費より沢山払わされたり、新しいクラス、日々の時間と時間を繋ぐ今年の歩き道、やはり薬を欠かすと不安定になる精神、色々あってなんだか今日は疲れました。 けれど、ふとこんなことを考えました。こうやって社会の一部としてその歯車に乗り、ゆっくりとしかし確実に一日一日を生きていくという生活を再開すると、何故か無性に曲が書きたくなってきます。不思議なもので、もしかしたら僕が曲を書くのは社会というものの一部として自分が生きていることを実感しているからなのでしょうか。 もちろんやったことはないので分かりませんが、もしかしたら無人島で20年生きるという人生をおくっていたら、僕は曲を書くなんてことをしようとは思わなかったのかもしれません。いざやってみるとどうかは分かりませんが、社会というモノに対して自分がオリジナルな感性で感じることや、そこに見つけたこと、誰かに伝えたいこと、そういうことがあるからこそ僕は曲を書くのかもしれません。もしそこに訴えかける社会がなければ、もしかしたら僕は曲を書くことはしないかもしれないと、そう考えました。 以前に、自分がもし音楽の中で純粋に何か"成功"と呼べる達成を手に入れた時は、僕は一線から身を引いて世捨て人のように細々と音楽を書いていくつもりだという内容の記事を書いたことがあります。けれども、それは今の段階ですでに僕は社会の一部として機能するという人生を経験しているからで、その味を知ってしまえばあと音楽的成功があればもう何もいらないと、そういう意味であって、もしも社会において自分の音楽がどういう形であれ評価され認められたという経験がもしなかったとしたら、やはり僕は曲を書くということをやめていたかもしれません。 ピアノ組曲第二番はとうとう最後の楽章に着手する段階まで来ました。今日はレッスンで今年習う先生にその内容を話したら、それが成功するかしないかは別にして、素晴らしい目標でありチャレンジだと言っていただきました。この曲なんて、考えてみたら本当に社会に対して"還元"という意味を強く持った曲で、最後の楽章はその最たるモノになりそうです。
by Alfred_61
| 2006-08-29 06:53
| 日記
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