取りあえずこうやって"今日の記事"を書いているということは、今のしんどい生活も少しずつ終わりに近づいているわけですね。そう考えると、これからまだまだ辛いこともあるけど大きな山を一気に越えようと考えるのではなく、やはり目の前の一歩一歩を確実に歩んでいくことが、最終的には大きな山をも登り切ることになるのですから。 今書いていて思いますが、これは実は僕が小学校6年生の時に担任だった先生から言われた言葉です。遠く霞んでみていている所へも、長く険しい階段も、目の前の一歩一歩をしっかり歩いていくことの積み重ねがいつかはゴールへ導いてくれるのだと。 思い返せば、僕は初めてウィスコンシンの高校に交換留学に行ったときでもそうでした。全然分からない英語、今と同じように山のように出される宿題とリーディングを目の前にして、ホストマザーに"こんなの無理だ!無茶苦茶だ!僕には無理です!"と何度も泣きついたことがありました。 実際、大学に来てからも最初は辛いことばかりで、何度もシャワーを浴びながら泣きました。今だから笑い話でこういうことを言いますが、当時は本当に辛くて、すぐにでもその環境から飛び出して自由になりたかったです。今もそういう辛さを感じているということは、逆に考えれば過去にそういう時を乗り越えて前へ進んできたのと同じように、今僕は実際前に進んでいるということなのかもしれません。 僕は小さい頃から我慢強いとか、西郷さんみたいに負けない心があるとか、言われてきました。確かに諦めることほど嫌いなことはありませんが、かといって努力している期間が辛くないはずはありません。その辛さも楽しめるくらいでなければ音楽を志すのはやめた方が良いと、何人もこの学校の作曲科に入ろうとやってきた人々に言いましたが、ホントこれが楽しくなってくるくらいなら最高ですよね。 僕の一番の問題は躰のこと。大学の2年目や3年目は体力が人並みにあったので、多少寝なくても食べなくてもバリバリやる気満々で勉強を続けられました。けれどもこの躰もその頃酷使しすぎたせいで、例えば食事のバランスが崩れるとすぐに胃が痛んだり、気持ちが落ち込むというか沈んで何をやるにも集中できなくなったりするようになってしまいました。 本当は楽しくて仕方がないのです。本当ならば。けれども今は、躰への不安が常に頭にあるために、必要以上に課題を出してくるクラスにどうしても不快感を感じてしまうのです。躰さえもっと健康で少々の無茶が出来たなら、そう本当に思います。 また同じこと書いてますね。でも、取りあえずこうやって一日一日しっかり歩いていくしかないんですよね。我慢は良くないですが、出来る範囲内でしっかりやっていくだけです。このブログの記事が増えるほど、この辛い日々も終わりに近づくのですから。
by Alfred_61
| 2006-09-05 07:29
| 日記
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