先日偶然菅野よう子のインタビュー記事を見ました。そこで「自分のオリジナルアルバムを作ることに興味がない」というコメントを見つけ、ちょっとしたショックを受けました。今まで、僕は菅野よう子をある意味理想、目標としてきました。最近商業音楽へのスタイル転換を考えたのも彼女の存在が大きかったのです。 けれども、僕が作曲家としてやりたいことは、人に言われたとおりの製品を作ることではなくて、自分のオリジナルを沢山作って人を感動させることなのです。初めて、菅野よう子という作曲家に対して、「ああ、僕とは違うんだな」ということを感じました。自分がそれまで神のようにあがめて来た先生が実はただのおっさんだと気づいたときのような気分です。 僕はロックバンドを始めたときから、オリジナルこそ至高の音楽だと信じて作曲も演奏もしてきました。ジャンルという意味ではクラッシックへ転向した経緯はありますが、音楽の根本はこれまで一度も曲げたことはありません。僕は僕が信じる僕だけの音楽を書く為に勉強し、究極的にはその為に生きているのです。 誰かに頼まれた製品を作ることが嫌なワケではありません。けれども、僕は音楽人として自分の音楽活動とはまずオリジナルを作って発表していくことだと信じています。たとえそれが一般職務の合間にやるロックバンドの活動であっても、オリジナルを作り続けることにこそ自分の作曲家としての存在理由があると信じているのです。そこから派生する形で依頼通りの製品を作るという仕事があるなら、それは素晴らしいと思います。けれどもオリジナルを作らないなら作曲を続ける意味はないと思います。 アメリカに来て音楽を専門的に学び、僕はこれから大学院へ進もうとしています。その後自分がどういう道に進むとしても、たとえ場末の落ちぶれたピアニストになっても、たとえ路上でギター片手に歌いながら生計を立てることになっても、それでも自分が信じたオリジナルを作っていくという活動をやめるつもりはこれっぽっちもありません。結局、今になって考えてみたら僕が本当に目標とするのはかのアストル・ピアソラのスタイルなのではないかと思います。 ピアソラは生前何度も失敗し、社会に受け入れられず、それでも辛い生活のなかでオリジナルを残していきました。彼の死後14年経った今となっては、彼の名前はクラッシック音楽界にも響き、音楽院でもその楽曲は頻繁に演奏され、彼は伝説の作曲家となりました。かのナディア・ブーランジェーにも師事し、それでも自分のオリジナルを貫き通したそのスタイルは、僕が今まで生きてきた人生とあまりにも似ています。菅野よう子は僕の憧れです。でも、僕が本当に目指すのはピアソラだととうとう気づいたのです。さあ、アストルの背中を追え!
by Alfred_61
| 2006-11-05 10:53
| 日記
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