先日せっかく切り餅を発見して家で磯辺焼きにして食べようと買ったのですが、海苔がきれてしまい、アジアンマーケットについでに鍋の材料でもと買いに行きました。そこで、レジの人(当然ですが全く面識なし)が一言。 「あ、貴方、ギタリストの方ですよね?貴方の演奏凄く良かったです~。」 ・・・。 へ?ボク?と鳩が豆マグナムを喰らったような大変な顔をしていたのですが、その人は先日のシュニトケのレクイエムのコンサートに来ていたそうで、そこで僕がエレキベースを弾いていたのを見たそうです。シュニトケのレクイエムは構成として古い音楽(合唱)を新しい楽器(エレキギターとエレキベース)が取って代わってしまうという展開をしているのですが、最後の楽章なんかは僕も確かにライヴでもやっているようにノリノリでヘッドバンキングしながら弾いていました。 いや、ある意味この一言はショックでした。この学校での僕の肩書きは、まず作曲家、そして次にオルガニスト、その次に合唱団員、そしてヴァイオリニスト、音楽学者、と来てから後ろの方にエレキベース奏者というのがあるのです。でも、世間には僕ののことをエレキベース奏者と思っている人の方がオルガニストと思っている人より多いのではないかと思えます。 何故そう思う人がいるかというと、僕がオルガンを弾いても、作曲の発表をしても、一般人はそれを聞きには来ないのですね。でも、エレキベースを弾いている場面には沢山の人が来て、しかもその演奏の内容を次の日には周りの人に話すみたいです。以前にも、「昨日のベース演奏、良かったらしいね。おめでとう。」と演奏会にいなかった人から言われたこともありました。 僕は作曲家やオルガニストとして舞台に上がると手が震えるほど緊張します。でも、エレキベースやドラムで舞台に立った経験で緊張したことはたったの一度もありませんでした。実際、日本で高校生をしていた頃にはよく使うライヴハウスのオーナーなんかに「お前は絶対成功するから絶対諦めるな。続けろよ。」と言われたこともありました。ある意味、僕はバンドというアンサンブルによるライヴにおいて、絶対にお客を楽しませる自信があります。そこで演奏する曲もそうですが、僕のロックにおける演奏技術もプロフェッショナルであると自負出来ます。実際にそうやって演奏会を見たお客さんが笑顔で「良かったよ~」と言ってくれるのです。 その笑顔を見たとき、ああ音楽をやってて良かったなと思うんです。作曲のリサイタルで感じたことは以前に書きましたが、それは決して喜びではありませんでした。僕は音楽人として、その仕事である"人を幸せにする"ということを目標にしています。バンドをやっていると、演奏会一つ一つにその喜びがあって、生きている実感と同時に自分の人生が報われていると感じます。今の僕の肩書きは現代音楽作曲家です。でも、自分に出来ることを考えれば、やっぱり僕はバンドをやるべきだと思います。来学期には僕の新曲"Number Eighteen"でまたベースを持って舞台に立ちます。これはドラムセットとエレキベースの二重奏で、かなりファンキーでヘヴィです。いつか日本に帰ってバンドをやることはすでに決定していることですが、こうやってアメリカで仲間を見つけて活動することは本当に楽しく、生きていて本当に良かったと思えます。舞台の上でも、音楽を演奏できる喜びを純粋に躰全体で表現するだけです。それで人を幸せに出来るなら、クラッシックの作曲家であるという肩書きや、学者としての立場、オルガニストとしての立場などを払拭してしまって、自分があるべき姿に100%戻るべきではないかと思うのです。 今日話した友達は院へ行きながらアメリカでバンドもやれば良いじゃないかと言いました。それはそれできっと本当に充実した生活でしょう。日本に戻ってバンドをやるにしても、今までクラッシックに首まで使っていた自分をバンド音楽に戻していく期間があるというのは、十分に準備をして日本に帰ったらすぐにバリバリ活動できる基盤になります。どうなるかはまだまだ分かりませんが、とにかくバンドの活動をもっともっと増やして、あるべき自分を取り戻して行く活動をこれからするべきだなと思いました。次には、ドラム、ベース、そしてアルトサックスの3重奏を書こうと考えています。エレキギターも入れるかもしれません。一般人から言われたひょんな一言はちょっと胸が熱くなるような、嬉しい一言でした。
by Alfred_61
| 2006-12-08 10:32
| 日記
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