何かをひたすら待つというのはとても忍耐のいることです。言葉で言うのは簡単ですが、実際に希望のない物をじっと待つというのはとても辛いことです。将来にある夢を持っていて、それをただひたすら待つというのは周りから見ると莫迦らしく思えますが、それの出来ない人間がいつか夢を掴むということもあり得ないと思います。友人に50代半ばになっても僕たち学生と同じような状況で同じような事を続けている作曲家がいます。そういう人を僕は心から尊敬します。 本当に音楽を好きでなければそういうことは出来ないと思うからです。例え社会的な感覚では辛いとされる状況も楽しいと感じられるほどの想いがなければ、一つのことを当てもなく続け、ただ何かを待ち続けることは出来ないと思います。いつか見たアメリカ人作曲家の作ったオペラ"Ballad of Baby Doe"(バラッドオブベイビードゥー)で、最後に愛する夫を失ったベイビードゥーが死ぬまで未亡人のまま、夫の経営していた倒産寸前の銀山を売らなかったという一節が出てきます。まるでその一節にはライトは当てられていませんでしたが、それは僕の心に一番残る場面でした。 ベイビードゥーの場合はただ『死』という途方もない物をただ待っていたのですが、その一日一日を想像するだけでボロボロ涙が出てきました。本当の愛なくしてそんなことは決してやり遂げられないと思います。ただ、彼女の場合は、彼女の求める物は必ずいつか訪れるというちょっとした保険つきですが。 愛する人が遠い国に旅立って、それをただじっと待つ・・・これは「蝶々夫人」ですが・・・それも同じ事でしょう。実際に何かを待ったことのある人は蝶々さんが待ちきれずに死んでしまう状況や気持ちを痛いほど理解できるでしょう。待つということは報われる事の方が少ないのではないかと思います。「それでも待ちますか?」ともし悪魔に夢の中で尋ねられたら、正直言って返事に苦労してしまいます。待つということはまるで人生の賭けですね。
by Alfred_61
| 2005-02-01 13:39
| 日記
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