日本に帰ってきて、テレビを見ていてもラジオを聴いても街に出ても思うのですが、10年前と比べると巷に流れる音楽に使われている"打ち込み"、つまりは電子音楽の割合がとてつもなく高くなっています。僕が日本を離れている間に、ずいぶん変わったモノだとつくづく感じます。ここでは背景にある資本主義精神が人々の文化的生活に影響していることを言いたいのです。 電子音楽とは非常に特殊な音楽形態で、これで音楽的クオリティーの高い作品を作るにはかなりの芸術的センスと非電子音楽への深い理解が必要となります。まず、一番の問題はリズムです。例えば4ビート("チッ・チッ・タッ・チッ"の繰り返し)があるとします。一拍目から四拍目まで4つの音符がありますが、すべての拍間にある間隔、すなわちリズム、は実はすべて同じ長さではないのです。ドラムを演奏する人でこれを知らない人はいないでしょうが、必ず一拍目が一番長く、次に三拍目が長く、続いて四拍目、そして二拍目が一番短いのです。でも、それは人の耳が明らかに知覚できる差異ではなく、センスレベルで無意識に関知することの出来る、音楽的専門用語で言う所の"1/fの揺らぎ"なのです。 そして、人はその小さなズレに快感を感じるのです。つまり、ズレているから気持ちいいのです。そこで最も重要なポイントですが、人間が気持ちいいと感じるズレのメカニズムは科学的に解明されておらず(だから分子が"f"なのですが)、つまりは機械にこのズレを作り出すことをプログラムすることは現在不可能なのです。しかし、人間が実際に楽器を持って演奏するとこのズレは自然に発生するモノで(なぜなら自分が気持ちいいように演奏するのがヒトだから)、それがハイレベルなミュージシャンになると独特のズレを用いて人を魅了することが出来るのです。明らかに分かる例えを出せば、桑田佳祐がリズムにがっちりはまって"正しく"歌っているのを聴いたことがある人は恐らくいないでしょう。彼の場合は特殊な"遅れ"の技術があり、それが何とも言えず気持ちいいのですよ。具体例としては、例えばこんなのどうでしょう? 今回はリズムにだけ焦点を絞って説明しましたが、音楽とはリズム、メロディー、強弱、和音、そして曲のフォームがあって初めて音楽となりうるもので、そのすべてにおいて"1/fの揺らぎ"が存在するのですが、それを機械で再現することが如何に難しいのか、これだけでも十分理解出来ると思います。だから、生の演奏には本当の音楽があり、それは現代科学では証明できないいわゆる"魔法"なのです。 僕のように音楽を勉強した人間にとっては、バックの音楽は全部電子音楽で歌だけ生の声を使っている曲なんて、3秒聴いただけで分かります。けれども、みんな理解できないだけで、聞こえているんですよ。その違い、その"ズレていない正しい完璧な音楽"に対する奇妙な不快感がね。CDが売れなくなってきているのは実はインターネットの普及だけが理由ではなく、トレンドの変化もあるということ、上の方の方々は分かっていらっしゃるのでしょうかね。 実際、身の回りに普段大して喋らないし自分の意見も言わないような人で、実はわざわざ東京まで特定のLiveを見に行ったりする人が結構いること、知っていますか?クラッシックだけじゃないんですよ、生演奏に惹かれるジャンルって。生演奏には魔法があり、それによって人はストレスの発散、快感、等を感じることが出来るのです。それこそエンターテインメントと呼ばれる現代社会に必要不可欠な要素で、これが欠けると社会問題や犯罪が増えるのです。現代の日本国において、音楽文化の影響している社会問題は決して少なくありません。そして、音楽制作を生業としているプロの人々ははっきりその責任を理解し、これからの音楽制作を改善していく義務を負うと僕は思います。 電子音楽をやめろとは言いません。電子音楽でも揺らぎって、実は作れるんですよ。90年代ロック文化にあって、00年代ダンス・ラップ文化に無いものって、この揺らぎなのです。今は電子音楽で作るのが当たり前で、生音が入れば凄いみたいな感覚があるくらいですから。でもね、10年20年前は生音だけで作るのは当たり前だったんですよ。現代に必要なもの、それはつまりLiveで人を惹き付ける技術を持った本格派のミュージシャンなのです。そして2010年までに、僕は自分をその一人として社会に宣言します。
by Alfred_61
| 2006-12-21 10:32
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