歌が上手いといわれる人たちがいます。今の日本なんてまだ時代遅れの歌姫ブームを引きずっています。"圧倒的な歌唱力"、"日本人離れした歌声"、さて、こういうのって、本当にその人の歌が上手いということなのでしょうか?プロモーションの売り文句としてこういう言葉は多用されますが、これって一般聴衆が鵜呑みにして良い表現なのでしょうか? あれ?じゃあその凄い歌声を最大限に生かしている曲を作った人の技術は、無視していいことなのでしょうか?そうは思いませんか?というか、良い曲がなければ、いくら良い声を持っている歌手でも、輝くことは出来ないのではないでしょうか?良い声を持っているのに曲が悪い為にスポットライトを浴びることのない歌手って、世の中に存在しないと思います?思いませんよねえ。学校で教えられる麻薬常習者の症状みたいに、それは所詮氷山の一角であって、それ以外に水面下に隠れて一般の目に触れることのない人たちが五万といるのですよね。 そう考えてみると、おやおや、歌い手が凄いんじゃなくて個人の声という楽器を使いこなしている個々の作曲家達が素晴らしいのですよね。上手いこと情報操作で誤解させられてますが、日本人離れした歌を歌っている人が凄いんじゃなくて、その人と素晴らしい作曲家のコラボが凄いんですよね。どうして作曲家の名前は出てこないんですか? 実際、それまでずっとコラボしてきたプロデューサーや作曲家が突然辞めて違う人が曲を書き始めた瞬間に突然売れなくなる歌手って沢山いますよね。つまり素晴らしい歌声を持っているということは、才能があってお金が稼げることとはイコールではないのです。 僕は作曲家です。その立場からですが、別にだからといってもっと作曲家にスポットを当てろといっているワケではありません。僕が言いたいのは、実は人の声とは人の数だけ種類があって、すべての人がその人にしか歌えない音楽を持っているのです。歌が上手いか下手かというのは実は作曲家がその人個人の個性をどれだけ引き出せるかということであって、決して個人の声にbetter/worseといった概念はそもそも存在しないのです。そこにあるのは、ただのdifferenceです。 自分にしか歌えない歌は誰にでもあるのです。ただ、その歌を作れるか、誰かに作って貰えるかは分かりません。けれども、絶対にその人にしか歌えない歌は存在するのです。それを具現化するのは作曲家の仕事であり、そもそもそれが出来ない作曲家は二流の域を超えることはできないのです。僕は、自分の声が他の人より優れているとは思いません。他の人より自分が高くまで声が出るとか、低い声が出るとか、そんなことも思いません。けれども、僕の声は僕以外の誰にも出せないことを、僕は知っています。僕は、自分がこれから始めようとするバンドでヴォーカルを担当する決意をしたのは、自分自身で自分の声を最大限に生かす曲を書く自信があるからです。まだ形になって残っている物が何もないので説得力はありません。しかし、僕は自分が信じられない物に投資することはしません。僕は、僕にしか歌えない歌を書きます。
by Alfred_61
| 2007-06-17 22:17
| 日記
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