慣れるって本当に嫌です。でも人間は連続するモノに慣れる性質を持っていまして、当たり前ですが僕のその一人です。慣れていく自分を理解できる状況ならさりげなく慣れてきた頃にヴァリエーションを出して慣れを回避することはできるんですが、他人との人間関係とか自分ではどうしようもできないことは本当に歯がゆいというか、かゆいところに手が届かないというか、ストレスがたまります。 例えばシャンプーって、ずっと同じメーカーの使ってると髪が慣れてきますよね。慣れてくると髪が痛み出したりまとまりにくくなってきたりするんですよね。だから、僕は3週間毎くらいのペースで何種類かのシャンプーを使い回しています。旅先とかで使う備え付けのシャンプーがやけに新鮮で髪に良いように感じるのは、ただ不慣れなものを使ったという変化への驚きであって、実際にそれが髪に良いかどうかは微妙なんですよね。 最近腰をまた痛めて思いましたが、椅子の上の座布団も、慣れてしまいますよね。ずっと同じ座布団に座っていると、実は知らない間に徐々に座布団の弾力性が失われていって、なんだか腰が痛いな、座りにくいなと思う頃には座布団が雑用紙の束くらいの弾力しかなかったりするんですよね。椅子の背もたれの角度も慣れると気持ち悪くなりますし、机の高さもそうです。デスク周りは多いですね、慣れって。 最初は手をつなぐのも恥ずかしかったのに、結婚して何年か経つとお互いに裸同然で家の中を歩き回る恋人なんて、考えるだけで虫酸が走ります。どうしてそんな取り返しのつかない状況になるまで放っておくんでしょうかね。僕には理解不能です。人間関係でも、恋でも、たまには新鮮な風を入れてやらないと慣れたりしてしまうんですよ。 平和で単調な毎日に慣れるなんて、全くもって反吐が出ます。それで変化を求めて、格闘技で誰かが失神KOされるのを見たがったり、軽犯罪に手を染めたり、麻薬をやったり、全くもって反吐が出ます。自分が生きている今に感謝できないなら、しようと努力すればいいのに、人間は逃げることしか考えないのですね。そしておきまりの文句が「なくしてから本当の大切さが分かった」ですか。なくす前でなければ、感謝を伝えることもできないのに。 ただ、慣れは使い方によっては人間関係を円滑にするツールにもなるわけで、例えば会社の上司なんて慣れて気兼ねなく話しをしているようなふりをしてやれば結構こちらの味方に取り込めるものです。そこで、僕はいくら仲良く話をしても、心のどこかである一定の距離を保ちますけどね。相手にばれないやりかたで。例えば、僕は基本的に音楽の話は、ごく少数の近い友人にしかしません。会社の同僚やつきあい始めたばかりの彼女になんて、死んでも音楽の話はしません。僕にとっての音楽とは、慣れとは正反対にあるもので、常に予想外のことを与えられ、また与えるような対象です。自分にとって命の次に大事なものを慣れの世界に出したくはないので。
by Alfred_61
| 2007-11-01 22:06
| 日記
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