時は年末、師走です。僕のバイト先は所謂artisan、職人の集まりなので、この時期に出る話題といえばもう「来年は食っていけるか」というもの一色です。アルティザンの人たちは、一発モノの仕事を社会から承り、それを連続させることで生計を立てています。とか言いますが、民間企業というのは程度は違えどそういう風に機能しているわけで、底辺で駒として機能している自分には仕事を取るとかいう社会活動は関係ないと安心していても、世の中何が起こるか分からないわけで、明日ウォール街で国際規模の経済恐慌が起これば簡単に路頭に迷うのですけどね。それこそ公務員も含めて、誰にでもそれは言えるのですよ。 今日の仕事は非常に適量で、夕方出勤で仕事上がりは夜の10時半くらいでした。大阪キタの中心梅田のど真ん中の現場を出て、どの店もシャッターを下ろした後の地下街を歩いて谷町線東梅田駅へと僕は向かっていました。同じくシャッターの降りた阪神百貨店地下街を横切ろうというとき、ちょっとした交差点でアコギを抱えて流しをしている人たちを見ました。上手くも何ともない声で必死に叫んでいました。通り過ぎる数多の人たちに比べて明らかに少数の立ち止まる人達が、それでも熱心に若い音楽を聴いていました。僕も終電まで立ち止まろうかとも思いましたが、色々なことで頭がいっぱいになって、早く帰ろうと決めました。 僕が音楽をやろうぜと周りに声をかけて、自身も大学卒業と同時に日本に帰ってきて、本格的な活動が始まるはずでした。色々なことがかみ合わずに、自分の描いていた計画が始められるようになるまでまだ時間があるとわかり、最近は地味なモグラの活動ばかりをしています。でも、自分が何で音楽をしようとしているのか、今日は色々なことを聴いて見て考えました。 アルティザンの立場でバイトをしていても、このままその世界で生きていける能力のある自分を認識します。たとえ教師として英語を教えたり音楽を教えたりしても、それでやっていける自分を認識します。たとえ公務員試験を受けてでもやっていける自分を認識します。親にそういう話しをすると、「お前は本当に自分勝手だ」と言いました。僕は社会に貢献する技能も知識も能力もあるのに、それを使おうとしないわけですから。他人よりも英語を教えることが上手かったりしても、僕はわざわざそれを「しません」と言ってやらないのですから。 僕は、自分が音楽をするべきだと思います。自分が音楽をすることで、社会に貢献できると思っています。でも、自分が音楽をすることで、お金儲けができるとは思っていません。僕は、自分の人となりや技能でお金儲けができると思っています。けれども、僕は音楽をするべきだと思います。 バイトをしている自分は好きです。使い切れないほどのお金を貰って生活するのは嫌なことではありません。けれども、僕は音楽をするべきだと思います。僕の仲間達はそれぞれの生活があり、彼らがお金を稼ぐことに僕がどうこう言う権利はありません。そこで、今までの僕は止まっていたんじゃないかと、街で流しをしているミュージシャン達を見て思いました。僕には仲間がいます。けれども、僕は僕の音楽をしなければいけないと思います。仲間と一緒に楽しくやるのは喜びですが、僕自身が人として背負っている義務は、そこで終わってはいけないと思います。 これから、僕は街で流しをできるように、準備を始めます。華やかなステージに上がってスポットライトを浴びるのは、仲間とやる音楽でやればいいと思います。でも、僕はお金が儲かるか儲からないかは別にして、音楽をやるべきだと思います。家でテレビを見ている暇があれば、僕は街へ出て道行く人の為に歌おうと思います。楽器のケースも空き缶も、僕は自分の前には置きません。たとえお金を置いていく人がいても、そのお金は孤児院など、必要な所に寄付しようと思います。成功を目指すのではなく、僕の音楽は僕が一人で作るものだと信じます。これからの自分は、今まで超えられなかった壁を乗り越えて、もっと上の音楽を目指します。自分の力で、自分の責任で社会へ自分の才能を還そうと、僕は心に誓います。ちゃんと人に伝えられるモノができたら、日本列島を端から行脚しようと、そう思います。
by Alfred_61
| 2007-12-01 01:08
| 日記
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