巷で"脳内ループ"とかいう表現をされる音楽があります。ちなみにこの類の音楽は録音が製品として売られ、何度でも再生可能な状況をあらかじめ予測されて作られたものです。現代の音楽事情を考えると、こういう作品が当たり前となっている状況は簡単に理解できます。 クラッシックは基本的に録音される為に作られていないので、そのほとんどがループしません。でも、CDで売られることを前提に作られているポピュラー音楽は基本的に何度も聞かれることを考えているわけで、一度再生しただけでおなかが一杯になっては困るんですよね。売れませんからね、そういうのは。 でも、何度も再生して聴く音楽は、熱しやすく冷めやすいのです。例えば曲の長さも5分を超えると長いとされます。なぜならそれ以上長いと最初に何があったのか覚えていられない人がほとんどだからです。曲の内容も簡潔明瞭で、一度聴いたら覚えられるくらいでなくてはいけません。 いけないいけないと書きましたが、そうやって規制で縛り付けたら確かに注文通りの枠内にある曲を書くことはできます。でも、そのやり方では本当に良い音楽を作ることはまあできません。例えば、ドビュッシーというクラッシックの作曲家がいますが、この人はちなみに曲によってループする曲としない曲と器用に作り分けたんですよ。だから、ピアノ前奏曲"亜麻色の髪の乙女"なんて誰でも聴いたことあるでしょうし、一発でループしますからね。でも、"牧神の午後への前奏曲"なんてループしません。凄い作曲家ですよ、ドビュッシーは。バルトークなんかには逆立ちしてもできないことを難なくやったんですからね。 まあ、クラッシックのループしない曲とは、基本的にライヴで演奏されることを前提に書かれているんですね。そして、このCDを発売した次の日にはネット上にタダでmp3ファイルが載せられている現代において、これから音楽でまっとうにお金を稼いでいこうと思ったらループにこだわってはいけないのですね。ライヴで一度しか聞けないから意味のある音楽を作り演奏すれば、そのライヴを見に行く理由になりますね。 ポイントとしては、音楽を作る側の技術としてループするかしないかを使い分けれることが大事だということです。ちなみに、こんなもの相当な高等技術で、クラッシックを勉強していようが音大の博士号を持っていようがまともにできる人はほとんどいません。だってこんなもの教えれる人もいないし、他人から習えるものでもありません。 作曲家としての技術なんてどれもこれもこんな感じで雲を掴むようなものばかりです。勉強すればできるものでもないし、生まれ持った感性だけでやっていけるわけでもありません。機械を操ったり音を重ねたりする技術なんて誰にでも習得できることですが、作曲家として実力を付けることはそうそう誰にでもできることではないのです。本当に、いつも悩んでばかりですよ。
by Alfred_61
| 2007-12-12 20:19
| 日記
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