物事には実感として感じるのか、知識として理解するのかの二通りがあります。例えば死ぬということにおいて、昨日まで自分の隣の席に毎日来ていた子が突然ある日を境に全く来なくなり、先生から「XXちゃんが亡くなりました」と伝えられたところで、それは実感としての死ではなくて、理解しているだけの死でしかないのです。つまり、死そのものに触れ、それを自分の感覚のレベルで感じることのない、記号を記号としてしか理解していない偽物の感覚なのです。それは先生がもしかしたら「XXちゃんは転校しました」と虚偽の情報を与えたとしても、あまり感覚そのものに違いはないのです。 それが、例えば自分の親が死んだとすると、それは直接的に感覚される死になるわけです。自分が育ってきた間ずっと"生"の象徴であった親という存在が死を迎えるということはその次の日から自分の生活の意味をがらりと変えてしまうわけです。もちろん、その先には時間の問題で次に親の立場で目の前に寝ているのが自分になることも、具体的な実感として感じることができるのです。それは社会的な意味での死ではなくて、一生命体としての死と直面することを意味し、書いていてバカらしいことですがそんなところに見栄やプライドもなければ人間関係もありません。そこにあるのは自分と対象物、この場合は死、だけです。 本当の理解とはそういうレベルのことを言うと僕はずっと信じています。勉強する、学ぶということはつまりそういうレベルでできるだけ多くのことを理解していくことであって、決して情報をどれだけ沢山脳の一時ディレクトリに詰め込めるかではないのです。知っているかどうか、ではなくて、理解しているかどうか、が問題なのです。 音楽の勉強とは、完全にこの理解のレベルでの出来事です。これができない人は、学者か評論家か教師になります。それがそういう人たちの役回りであって、できないことを無理にする必要はないのです。でも、逆の立場、つまりここで僕が言う"理解する"ことのできる人は、そういう人にしかできないことをするべきなのです。同じように、そういう人たちに学者や評論家になれと言ってもまた無茶な話なのです。人間はできることをするべきであって、自分に向いてもいないし背伸びをしても真似事しかできないようなことは最初からするべきではないのです。 具体的に言ってしまえば、3度の和音と6度の和音それぞれの響きの違いが感覚レベルで理解できないのならば、その人は元々作曲には向いていないのです。さらに言うと、真ん中のドよりも上で弾く6度と下で弾く6度の違いなんかも、もし"わからない"のなら無理に理解しようとはしない方が良いのです。そんなことは考えずに、猫が走っても同じ音のするピアノのような便利な楽器を弾くとか、学問として音楽を研究したり教えたりする人になればいいのです。ヴァイオリンのような繊細な楽器はやめた方がいいでしょうね。 理論でしか書かれていない音楽と、本当に感覚レベルの理解で書かれた音楽と、そんなもの聴いたら東大阪市の道ばたに歩いているオバチャンでもわかりますよ。わからないと思っている作り手もいるようですが、わからないはずないでしょう。子供を教えていたりしても、その子供が、ペットの犬が死んだことを理解しているかどうかなんて見れば一発でわかるでしょう。いちいちその子と話なんかしなくても、その子の目を見れば当たり前のようにわかりますよね。 感覚レベルの作品は直接感覚レベルで伝わるのですからね。東大阪市のオバチャンが死を感覚レベルで理解できるように、そのオバチャンは感覚レベルで書かれた音楽を聴いて理解することができます。バカらしいくらい当たり前のことですが。わからないのにわかっているふりをしても、音楽では絶対に嘘はつけない、ということです。いくら譜面上で綺麗に飾って、音色を飾って、重ねて、手の込んだように見せたとしても、それは所詮裸の王様が来ているガウンと同じです。同様に、いくら流行の音楽っぽくアレンジしても、いくら独特の民族音楽っぽくしてみても、まあそれがどういうレベルの物かなんて聴いたら簡単にわかるんです。ところがまあこれが可笑しいことに、音楽を"勉強した"人に限ってオバチャンの感覚がわからなくなったりするんですよね。だから誰が聴いても最終選考で一番良かった曲が賞を取らないとかいうことがあるんですけどね。 音楽をやる、ということはただでさえ雲を掴むような答えのない勉強を、まあ死ぬまで続けるということなんですね。知識として頭に詰め込むだけの学問なんて、いずれは"極める"ということが可能ですが、音楽のような分野はどこまでも伸びる梯子のようなもので、早かれ遅かれ自分はてっぺんにたどり着くことができずに死んで落ちるんですけどね。絶対にたどり着けない頂上を目指す、なんて知識系の人からするとバカらしいでしょうし、理解すらできないでしょう。その辺がまあ人間の向き不向きというもので、わからないなら首をつっこまない方がいいんですよ。自分のいる井戸が世界のすべてだと思っている方が幸せに生きていけますからね。
by Alfred_61
| 2007-12-28 01:31
| 日記
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