性欲なんて物は簡単に理性で自制することができますが、僕にとって創作の欲求という物はそう簡単に自分の力で抑えることができません。良く"曲を作る"ということを専門にしていることを周囲の人に不思議がられたりしますが、今日書く内容はもしかしたらそういう人たちの疑問に答えるものになるかもしれません。 サラリーマンというと、定時に出勤することによって自分のメンタルを仕事モードに切り替え、退社すると同時に個人に戻るといった感覚が僕にはあります。実際僕がサラリーマンをしていた頃はそういう感じで生活していました。でも、ものづくりをすると言うことはそういう感じで自分の意志でオンオフが切り替えられるものではなく、オンにしたいからといってあがいてもオンにはならないし、逆に一度オンに入ってしまったらそう簡単にオフに出来るものではないのです。 何かを作るということは、具体的合理的に明確な過程や段階を経てある程度見通しのある見返りを望んでする行為ではありません。何かを作るということは、その段階や見返りがどうでも良くなってしまうほどにトランスしてしまった状態で行う作業のことで、それこそ躰の方が悲鳴を上げたりするようなきっかけがなければいつ終わるともなく取り組んでしまうものです。 大学を卒業してから、僕の人生はほとんど常にオンの状態です。そのせいでこの半年で価値観も人当たりも相当変化してしまった自分を認識します。オンの状態の僕にとって、例えば作品が製品として形になることはおろか、それが有名人に認められたり賞を取ったりすることも、どれもゴミ同然の価値しかないのです。作るというモードに入ってしまえば、世間の価値観から自分は自由になるのです。将来への不安もお金のやりくりも食事のことも何もかもどうでも良くなるのです。第三者的にその状態を表現するなら、よっぽど強い幻覚作用のあるドラッグにかかって何日も現実に戻って来れないような、そんな感覚です。そりゃあきっと脳内ではアドレナリンやエンドルフィンが日常的に出ているということなのでしょうけど。 あまり脳の寿命には良くない生き方なのはとうの昔から気づいています。けれども、それはもう自分がそう生まれ持ってしまった性質でしかなく、今更変えようとしても変えられるものではありません。つまり、生まれつき"ものづくりのスイッチ"を持っていない人にはこのスイッチが入る感覚をどうやっても理解できないのです。もちろん、僕にもこれを他人に説明することは出来ません。ただ、僕は何年に一度とかで来る波があるタイプではなく、日常的にスイッチが入りっぱなしになるタイプなのです。 これだけ理論や技術や技法を学んできて、今はどれもこれも全部頭の中から忘れてしまって作曲をしています。食事のことさえどうでも良くなるのですから、理論なんて頭の片隅にも浮かびません。自分が無意識に呼吸するがごとく、自分が曲を書くのです。それは欲求に突き動かされた行為で、まさに呼吸をするようなものです。逆らうことなんて出来ませんし、そもそも自分が自分である以上それに逆らうことは自分を否定することになるのでしようとも思いません。呼吸を止めることが死に繋がるのと同じように。 僕は、作っても作っても満足出来ないタイプの芸術家です。いつも完璧な作品を書こうとするのですが、どうしても自分の理想を表現することは出来ません。出来ないからこそ、挑戦する価値があるのです。手の届かない理想ほど美しい物はなく、僕がものづくりに傾ける情熱はその美しさに魅入られた狂人のそれと似ていると思います。僕の作品が表で演奏されたり録音されたりする頃には、当然僕はすでに次の作品の制作をしているわけで、どうしても聴衆が現在進行形の僕の創作を鑑賞することは出来ないのです。常に発表される物は過去の自分であって、現在の自分は常に前に進んでいるのです。
by Alfred_61
| 2008-02-15 04:21
| 日記
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