結構前に僕は職人気質だと書いたことがありました。確かに僕が音楽に向かう姿勢というものは職人のそれに近いかもしれません。けれども、先日仕事先の上の人が、職人の世界と僕の世界の根本的な違いについて指摘され、それに妙に納得したのです。 その人曰く、職人の仕事というのは、1やるとそれは1の評価しか受けず、1の価値しか持たず、その代わり1が1であることに変わりはない、という世界なのだそうです。けれども、僕の世界つまり音楽の世界というのは、1の仕事をするとそれが1に評価されることは滅多になく、たいていの場合は0にしか評価して貰えない。しかしもしも自分に才能があり、流れを掴む運も持ち合わせているのなら、もしかすると僕の世界では1の仕事が10とか100とかの評価を受け、価値を持つことがある、ともその人は言っていました。なるほど、と思ったのです。 確かに普通のサラリーマンは安定した評価を貰い、安定した収入を貰います。けれどもサラリーマンが突然人生が変わるような大金を会社から貰うことはあり得ないわけで、1が1であることは保証されているけれども1が1以上になることもないのです。けれども音楽の世界ではいくつも1の仕事をコツコツやっている人はいますが、それを十中八九0として扱われ、世間から見向きもされません。それでも続けていればもしかするとどこかでやった1の仕事が気の遠くなるような数値の評価をされる時がくるかもしれないのです。 実際、僕の知り合いには1の仕事を100にも1000にも評価される人がいます。僕の場合はと言うといつまで経っても1の積み重ねが全く評価されずに全体の数がまだ0のままです。それならサラリーマンのように堅実に1を積み上げていく人生を生きた方が良いんじゃないかと年上の方々に説教されたら特に言い返すことはありません。はっきり言ってしまえば毎週ロト6を買っているようなもので、結局負け込んでいるけれども、もしかしたら一気に取り返してさらに人生が一転するくらいの勝ちが訪れるかもしれない、と。そりゃあそんな人生社会的に誠実とは言えません。けれども夢があると羨望を向けられることも少なくありません。 僕は、別に1を10に評価して貰おうと思って音楽を作っていません。1を0と評価されても、そんなことは知ったことではありません。なんと思われようが僕は1の仕事を続けていくだけですし、例え1を10と評価される日が来たとしても、僕がやっていることが所詮1でしかないことを忘れることは決してありません。"偉くならない"というのはつまりそういうことです。 で、いつまでも1が0の評価しか受けないとしたら、その先に何が待っているでしょうか。それはそう、生活が出来なくなる、ということです。いつか、その日は僕にも訪れます。今は何とかやっていますが、必ずその日は来ます。それでも、僕は音楽をやめるつもりはありません。音楽をやめて生きながらえることよりも、僕は音楽を続けて短く生きる方が性に合っています。もしかしたら、僕の音楽が評価されるのは僕が死んでから100年以上経ってからなのかもしれないのです。どうして今自分が生きるなんて下らない理由で音楽をやめることができるでしょう。そのためには人並みの幸せなんて僕は願いませんし、ただ少しでも沢山の音楽を作ることが出来ればと思うだけです。"評価"なんて社会が作り出した蜃気楼に惑わされて本質を見失うくらいなら、僕は1を10に評価されることを拒否します。本当に大切なものを音楽の中で貫き通すことこそ僕の人生であり、終わりの日が来るまでそれを続ける覚悟は、とっくの昔からできています。
by Alfred_61
| 2008-05-16 03:10
| 日記
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